客は、大外記
頼業よりなり 、左少弁さしょうべん
行隆ゆきたか 、外記大夫げきのたいふ
師景もろかげ 、親経など、四、五人であった。 いったい、月輪つきのわ
の邸は、九条家の別荘であり、兼実は、持病の脚気かっけ
を理由として、右大臣の要職にはあるが、多くを、ここに過ごしているのである。 そうした閑居と、病養のあるじなのに、ここへは毎日、客が多い。平家ぎらいのあるじをかこみ、平家の悪口もいえるし、後白河法皇の復帰された院の評判も自由の話せるからであろう。 「近ごろ、おからだは、いかがですか」 行隆が、まじめにたずねた。 「まあ・・・・」
と、あるじは、笑い濁して、 「持病ゆえ、急には癒なお
るまい。── というて、どうも」 「おわるくもないので」 「いや、よくもない」 「どちらともつかぬわけで」 「いわば世上の容体そのままよ。世の煩わずら
いが、兼実の身にあらわれているのかも知れぬ」 「先さき
の月、高倉の上皇きみ の御葬儀にも、だいぶ御無理をなされたのでがございませぬか」 「ほかならぬ御儀おんぎ
、あの前後のみは、病を冒おか
して奉公いたしたが、もう、むりはせぬ。何が起ころうとも」 「五条殿 (大納言那綱) にも、このところ、御不予とか、伺いますな」 「あ。あの朱鼻殿あけはなどの
の、御養子か。・・・・親は知らず、五条殿は、よいお人なのに」 「むかしは、卑賎ひせん
な一いち 雑色ぞうしき
であった朱鼻殿あけはなどの が、いつか大商人だいあきゆうど
から五畿ごき 第一の富者となられた。そして、親は、夢野に王者の栄耀えいよう
。御養子は、大納言にまで昇られた・・・・ひとえに、それはみな、入道相国の寵ちょう
によるところ」 行隆が嘆じると、師景が、慰めるように言った。 「さ、それゆえ、入道相国が、南都焼き討ちの後は、とかく、御気色もすぐれず、近ごろ、業苦を病むうわさもあるが、その報むく
いを共に受けて、五条殿も病み臥せられたのではあるまいか。栄華の御相伴ごしょうばんく
だけを、神仏もゆるしはおくまい」 「では、相国の乱心とやらも、根なし草の、うわさのみではないのであろうか」 兼実には、自分の病以上、これは心にかかるらしい。しかし、入道清盛を思うがゆえの関心でないことは、いうまでもない。 どうやら、平家全盛も、絶頂を越えたかに見える。もし入道清盛がここでたおれれば、急転直下の崩壊ほうかい
をきたすであろう。二十年来、自分たちの頭の上を圧していたものが、からりと、除かれるに違いない。 そのあとは、どういう形の政体が生まれるか。また、世の中に変化が来るか。それはまだ、たれの頭にも、はっきり描かれてはいない。 必然なのは、源氏の進出である。 しかし、平家よりは、ましであろう。平家の轍てつ
を踏むような、大それた野望は持つまい。 「── 平家だに亡びなば」 と思うのは、兼実だけではなかった。公卿は全部である。いや、今年の飢饉ききん
は、その飢饉までを平家のせいにして、庶民の声も、そうなって来ている。 そこで、こういう希望的観測は、まま風説の化け物を作って、 「西八条の様子がおかしい」
とか 「入道病む」 とかいう気の早いうわさが、今日まで、幾たび、ちまたに言われていたか知れない。 しかし、今度こそは、どうも、ほんとらしいと、今朝の月輪殿つきのわどの
の客たちは、言うのであった。 |