〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Y 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (八) ──
さん がい の 巻

2013/09/13 (金) 「ぎょく よう 」 筆 者 (二)

客は、大外記だいげきの 頼業よりなり左少弁さしょうべん 行隆ゆきたか外記大夫げきのたいふ 師景もろかげ 、親経など、四、五人であった。
いったい、月輪つきのわ の邸は、九条家の別荘であり、兼実は、持病の脚気かっけ を理由として、右大臣の要職にはあるが、多くを、ここに過ごしているのである。
そうした閑居と、病養のあるじなのに、ここへは毎日、客が多い。平家ぎらいのあるじをかこみ、平家の悪口もいえるし、後白河法皇の復帰された院の評判も自由の話せるからであろう。
「近ごろ、おからだは、いかがですか」
行隆が、まじめにたずねた。
「まあ・・・・」 と、あるじは、笑い濁して、
「持病ゆえ、急にはなお るまい。── というて、どうも」
「おわるくもないので」
「いや、よくもない」
「どちらともつかぬわけで」
「いわば世上の容体そのままよ。世のわずら いが、兼実の身にあらわれているのかも知れぬ」
さき の月、高倉の上皇きみ の御葬儀にも、だいぶ御無理をなされたのでがございませぬか」
「ほかならぬ御儀おんぎ 、あの前後のみは、病をおか して奉公いたしたが、もう、むりはせぬ。何が起ころうとも」
「五条殿 (大納言那綱) にも、このところ、御不予とか、伺いますな」
「あ。あの朱鼻殿あけはなどの の、御養子か。・・・・親は知らず、五条殿は、よいお人なのに」
「むかしは、卑賎ひせんいち 雑色ぞうしき であった朱鼻殿あけはなどの が、いつか大商人だいあきゆうど から五畿ごき 第一の富者となられた。そして、親は、夢野に王者の栄耀えいよう 。御養子は、大納言にまで昇られた・・・・ひとえに、それはみな、入道相国のちょう によるところ」
行隆が嘆じると、師景が、慰めるように言った。
「さ、それゆえ、入道相国が、南都焼き討ちの後は、とかく、御気色もすぐれず、近ごろ、業苦を病むうわさもあるが、そのむく いを共に受けて、五条殿も病み臥せられたのではあるまいか。栄華の御相伴ごしょうばんく だけを、神仏もゆるしはおくまい」
「では、相国の乱心とやらも、根なし草の、うわさのみではないのであろうか」
兼実には、自分の病以上、これは心にかかるらしい。しかし、入道清盛を思うがゆえの関心でないことは、いうまでもない。
どうやら、平家全盛も、絶頂を越えたかに見える。もし入道清盛がここでたおれれば、急転直下の崩壊ほうかい をきたすであろう。二十年来、自分たちの頭の上を圧していたものが、からりと、除かれるに違いない。
そのあとは、どういう形の政体が生まれるか。また、世の中に変化が来るか。それはまだ、たれの頭にも、はっきり描かれてはいない。
必然なのは、源氏の進出である。
しかし、平家よりは、ましであろう。平家のてつ を踏むような、大それた野望は持つまい。 「── 平家だに亡びなば」 と思うのは、兼実だけではなかった。公卿は全部である。いや、今年の飢饉ききん は、その飢饉までを平家のせいにして、庶民の声も、そうなって来ている。
そこで、こういう希望的観測は、まま風説の化け物を作って、 「西八条の様子がおかしい」 とか 「入道病む」 とかいう気の早いうわさが、今日まで、幾たび、ちまたに言われていたか知れない。
しかし、今度こそは、どうも、ほんとらしいと、今朝の月輪殿つきのわどの の客たちは、言うのであった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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