〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Y 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (八) ──
か ま く ら 殿 の 巻 (つ づ き)

2013/09/09 (月) 春 な き お ん こく (一)

正月十四日の宵である。
夕方から粉雪が、もう町すじを白くしていた。入道相国を乗せた牛車の供人ともびと は、雪まだらな牛の体へムチを振り鳴らし、六波羅池殿いけどの へと急いでいた。
「お年からいえば、まだ、春はこれからという上皇きみ なのに・・・・」
車は、五条大橋を、とどろに渡って行く。
え込む両のひざを組み合わせ、入道は、この内にあって、物見ものみ (窓) の を打つ幻のような雪風の明滅を、眼をうつろに見つめ ──
「上には、御孝心あつ く、下々には、お情け深く、何事につけ、お気性きだて のよい上皇であったが」
と、ひそかな悔いに責められていた。
── 自分と後白河法皇との不和が、どれほど、上皇のお心を傷め、また、おからだにもさわ っていたことか知れまいと思う。
後白河は、御実父。
自分は、高倉の上皇きみしゅうと である。
いわば、おや義親おや との争いにはさまれて、いいようもない御苦境に、その青春をしば ませられたお方だった。
早くに、御退位を見たのも、そのためであり、厳島御幸の御立願ごりゅうがん も、そこにあったことは、下々まで、およそ知らない者はない。
以後、お体もすぐれなかったのは、まったく、そうした御心労のせいである。とりわけ、お淋しかったに違いないと思われるのは、清盛の娘、中宮ちゅうぐう (おきさき) の徳子とも、ひとつのお暮らしさえ久しく絶えていたことであろう。
上皇と徳子との間に御子みこ (安徳天皇) はむつけきのうちに御位につかれ、建礼門院徳子も、国母として、つねに幼帝を抱いて朝廟ちょうびょう にあるため、飽きも飽かれもせぬ鴛鴦えんおう (おしどり) のおん仲とて、一つ御所に住むわけにはゆかなかったし、 「 が妻よ」 「 が良人よ」 と心で呼びあうことさえ、何かの儀式に列するときでもなければ、相見る日はなかったのである。
「・・・・罪な。・・・・思えば罪な」
どこから吹き入るのか、車の内まで、ほたる のように、雪が舞った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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