子煩悩
に過ぎると、常には言われている入道清盛であったが、今朝は、重衡の姿を見ると、いきなり頭から叱咤しった
した。 「兵はまだ、夜来やらい
、物具もののぐ も解かずにおるのに、大将たるお汝こと
は、おのれひとり家に帰って、ぬくぬくと、眠って来たのか」 「いえ、わが屋敷へ帰ったのではございませぬ」 「では、今ごろどこから戻って来たぞ」 「母の二位殿からお召しがありましたゆえ」 「二位殿が、何用あって」 「南都焼き討ちの報を、聞かれ給うて、気でも狂うたかと、わたくしをお叱り遊ばしてやみません。・・・・悲しや一門一族は、仏敵の罪を負い、死後まで地獄の責苦せめく
はのがれまいぞ・・・・と、お嘆きやら、お叱りやら、かき口説かれて参りました」 「お汝ことく
は、何と答えたか」 「おなぐさめ申す言葉もなく、ただただ、重衡が落度のみ・・・・」 「詫わ
びたのかよ」 「はい。お詫びのほかには」 「なぜ、父の命だとは、言わなかったぞ。父入道の厳命にて、やむなくと申し切ればよいに」 「二位殿にはそれは御存知でござりまする。しかし、あれほどにとは、父君も仰せられず、重衡も、思いもよらなかったことでございました。──
敵の法師勢が、ことごとく、寺中へ逃げ込みましたゆえ、暗がりの合戦では、由緒ゆいしょ
ある宝舎ほうしゃ や堂塔を踏み毀こぼ
ちもせんと、足元の明りにと、民家へ火を放か
けたのが、悪かったのです。──時ならぬ強風のため、火は、あなやというまに、東大寺へも、興福寺の諸伽藍しょがらん
へも」 「ば、ばかな」 入道は、烈しく、彼の言葉をさえぎった。 「強風のためだったと、お汝こと
は、世迷よま い言ごと
を申すのか」 「まったく、あの凄すさ
まじい大風さえ起こらなければ」 「さような言い訳を、たれに言う気ぞ、今さら世間がそんな言に耳をかそうや。── 二度と軍いくさ
を出さずともよいように奈良を懲こ
らしめて参れとは、この入道が申し付けたこと。・・・・また、おりからの大風が、七大寺の堂塔を灰燼かいじん
に帰せしめたのも、何やら人業ひとわざ
とも思われぬ。いわば天意だ。天も無用の社寺の荘厳そうごん
や坊主どもの末法堕落の様を怒らせ給うて、天罰を示したものといってよい。・・・・・いずれにせよ、かくなるうえは憚はばか
るな、世上へヘタな言い訳顔をするのはよせ」 「はいっ・・・・」 「罪はおれがかぶる。清盛は、死後の地獄など恐れてもみぬ。極楽もまた望んではおらぬ。願うことは、お汝こと
らがみな仲良くして、一門をかため、諸民をいつくしみ、一日も早く世を泰平に」 言いかけて、彼は、何とも言えない寂しい翳かげ
を老いの姿にけむらせた。必然的な人間の天寿といったような考えが、ふっと、意識を突き抜けたものとみえる。明日のはかなさを知って、明日を語る自信を欠いていたのかも知れない。 「ともあれ、今が、わが一門の浮沈ぞ。外へ対して、内の怯ひる
みを見するな」 それから、彼は、強いて毅然きぜん
とすわり直し、 「いで、悪僧どもが首を見ようか。誰た
ぞ、首目録を読み上げてゆけ」 と、言った。 |