辻
合戦や矢戦やいくさ は、昼に終わった。 そして夜にはいるころ、般若寺はんにゃじ
は炎々と、楼門の甍いらか から、焔ほのお
を噴いていた。 奈良の夜は火光に染まった。辻を縦横に、駆け動くのは、兵馬の影であろう。真っ黒に蝟集いしゅう
して、西大門、南大門などの、要所要所へ迫って行く。 打ち負けて、寺内深くへ逃げ込んだ衆徒は、興福寺の金堂こんどう
、南円堂、中院、北院、そのほかの仏舎宝塔へ隠れ込み、東大寺の方も同じだった。ただ、そこでは、東大寺の大仏殿でん
の二階へ無数の人影がのぼっていた。講堂や、四面の廻廊かいろう
、戒壇かいだん などの、いたる所の暗がりと、物蔭にも人影がかがんでいた。床下の奥まで、僧兵が逃げ込んでいた。 「誰た
ぞ、火を出せ、暗うて、敵味方のけじめも分からぬわ」 大将軍の頭とう
ノ中将ちゅうじょう 重衡しげひら
の声に応じて、 「火を出しまするか」 と、軍勢の中の一人が言った。 「おう、火をかかげよ」 火を出せ、火を掲かか
げよ、というのは、常ならば、紙燭ししょく
をという程度の言葉に受け取れるが、ここでは、大火おおび
をあげろということである。数千の将士の足もとを照らせという命令と取ってよい。 「心得ました」 と、すぐ気転をきかして、楯たて
を細かに割り、それを松明たいまつ
として、かなたへ走り去った男を見ると、次郎大夫友方ともかた
だった。 大路を遠くへだてた民家へ行って、そこらの家々へ、火を放つ
けまわった。 武者たちの顔は、たちまち、巨火の明りに赤く燃え、手に持つ、弓や長柄の線までが、影法師となって、地上に映った。 「罪なき女童めのわらべ
や、修学者などは、殺あや めまいぞ。法師武者と見なば、ただ一人とて、討ちもらすな」 重衡しげひら
も下知し、通盛も、声をからした。 すさまじい武者声が、どっと沸き、虚空こくう
からも、谺こだま が聞こえた。 その夜は、十二月二十八日、もう幾日かで、初春を迎えるという極月ごくげつ
だった。奈良大衆も、よもや、こんな大軍の襲来を見ようとは、夢にも思わず、待つ春の支度に、油断しきっていたものに違いない。 火は、民家の軒から軒へ、走りはじめた。焔の奔馬が狂い合うさまにも似ている。そのうちに、風は、猛烈な木枯こがら
しとなり、ひょうひょうと、大きな飛び火が、虚空にはためき、虚空に舞い始めた。 「あれよ・・・・。かしこにも、こなたにも」 「こは、怖おそ
ろしの猛火みょうか ぞ。どうなることか」 火を放った平家方が、まず、うろたえた。 見る見るうちである。 興福寺の寺中寺外も、焔ほのお
となり、東大寺のそこかしこも、紅蓮ぐれん
の海となった。 わけて、大仏殿でん
の二階に、火が燃えつくと、 「── 助けて給た
べえっ」 という無数の人影と、悲鳴とが、楼の欄に、ひしめき合い、蚊が焼かれ落ちるように、焦こ
げた人影が、大地へ、ぽろぽろ、落ちて来た。 老僧がある。女童めのわらべ
がある。また、戦いに関与しない若い修学者の姿もあった。 屈強な僧兵たちは、われがちに、階かい
をまろび落ち、外へあふれ出して来た。しかし、昼のような火光の下に、たいがいは、よい的まと
になって、遠矢に射られ、脱兎だっと
の勢いで、逃げ出して来る者も、武者の好餌こうじ
となって、諸所で討ち殺された。さもなければ、縄なわ
を打たれて、ひかれて行った。 |