〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Y 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (八) ──
か ま く ら 殿 の 巻 (つ づ き)

2013/09/08 (日) しゃく しん だい ぶつちょう にん げん (三)

つじ 合戦や矢戦やいくさ は、昼に終わった。
そして夜にはいるころ、般若寺はんにゃじ は炎々と、楼門のいらか から、ほのお を噴いていた。
奈良の夜は火光に染まった。辻を縦横に、駆け動くのは、兵馬の影であろう。真っ黒に蝟集いしゅう して、西大門、南大門などの、要所要所へ迫って行く。
打ち負けて、寺内深くへ逃げ込んだ衆徒は、興福寺の金堂こんどう 、南円堂、中院、北院、そのほかの仏舎宝塔へ隠れ込み、東大寺の方も同じだった。ただ、そこでは、東大寺の大仏殿でん の二階へ無数の人影がのぼっていた。講堂や、四面の廻廊かいろう戒壇かいだん などの、いたる所の暗がりと、物蔭にも人影がかがんでいた。床下の奥まで、僧兵が逃げ込んでいた。
ぞ、火を出せ、暗うて、敵味方のけじめも分からぬわ」
大将軍のとう中将ちゅうじょう 重衡しげひら の声に応じて、
「火を出しまするか」
と、軍勢の中の一人が言った。
「おう、火をかかげよ」
火を出せ、火をかか げよ、というのは、常ならば、紙燭ししょく をという程度の言葉に受け取れるが、ここでは、大火おおび をあげろということである。数千の将士の足もとを照らせという命令と取ってよい。
「心得ました」
と、すぐ気転をきかして、たて を細かに割り、それを松明たいまつ として、かなたへ走り去った男を見ると、次郎大夫友方ともかた だった。
大路を遠くへだてた民家へ行って、そこらの家々へ、火を けまわった。
武者たちの顔は、たちまち、巨火の明りに赤く燃え、手に持つ、弓や長柄の線までが、影法師となって、地上に映った。
「罪なき女童めのわらべ や、修学者などは、あや めまいぞ。法師武者と見なば、ただ一人とて、討ちもらすな」
重衡しげひら も下知し、通盛も、声をからした。
すさまじい武者声が、どっと沸き、虚空こくう からも、こだま が聞こえた。
その夜は、十二月二十八日、もう幾日かで、初春を迎えるという極月ごくげつ だった。奈良大衆も、よもや、こんな大軍の襲来を見ようとは、夢にも思わず、待つ春の支度に、油断しきっていたものに違いない。
火は、民家の軒から軒へ、走りはじめた。焔の奔馬が狂い合うさまにも似ている。そのうちに、風は、猛烈な木枯こがら しとなり、ひょうひょうと、大きな飛び火が、虚空にはためき、虚空に舞い始めた。
「あれよ・・・・。かしこにも、こなたにも」
「こは、おそ ろしの猛火みょうか ぞ。どうなることか」
火を放った平家方が、まず、うろたえた。
見る見るうちである。
興福寺の寺中寺外も、ほのお となり、東大寺のそこかしこも、紅蓮ぐれん の海となった。
わけて、大仏殿でん の二階に、火が燃えつくと、
「── 助けて べえっ」
という無数の人影と、悲鳴とが、楼の欄に、ひしめき合い、蚊が焼かれ落ちるように、 げた人影が、大地へ、ぽろぽろ、落ちて来た。
老僧がある。女童めのわらべ がある。また、戦いに関与しない若い修学者の姿もあった。
屈強な僧兵たちは、われがちに、かい をまろび落ち、外へあふれ出して来た。しかし、昼のような火光の下に、たいがいは、よいまと になって、遠矢に射られ、脱兎だっと の勢いで、逃げ出して来る者も、武者の好餌こうじ となって、諸所で討ち殺された。さもなければ、なわ を打たれて、ひかれて行った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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