「早かった。よくぞ」 こういうまでに、彼の頭はまだ、索漠
としていたが、自分の吐く言葉が、次第に、彼の意志を、打ち堅めていた。 「重衡は、八千騎を持て、通盛は、五千騎を、率いて行くがよい」 「はいっ」 「行く手は、南都ぞ。──
以仁王もちひとおう 、頼政の謀叛のおりにも、南都は、うしろにあって、宮を使嗾しそう
し奉り、以後も、あらためる風は、みじんもない」 「宇治川の落武者、三井寺の僧どもも、みな奈良に潜みおりますとか」 「いずれにせよ、南都の伽藍がらん
と、平家の門とは、ひとつ地上に、ひとつ日輪を仰ぎ得ぬ異物だ。夜明くるごとに、陽の沈むごとに、清盛の死を祈り、平家の滅亡を念じおる衆徒めらを、どうしても、一度は懲こ
らしおかねばなるまい」 「きっと、いたして参りまする」 「攻め入りならば、一度で事のすむように、威力を示して来い。藤原氏代々の氏寺うじでら
、摂家堂上の泣き恨みやら非難やら、いずれは、わが家へ降りそそぐに違いない。── が、あらゆる謗そし
りは、おれが着る。悪人入道清盛が、身にかぶる。── 年久しゅうして、魔性外道げどう
の古巣となった末法の暗黒界の、大鐘を打ち鳴らしてまいれ」 これほどには、言う気もなかったのに、清盛は、自分の語気に酔って言った。一言を吐くごとに、彼自身、陣頭の阿修羅あしゅら
になった。 「行け」 とばかり、重衡しげひら
、通盛みちもり は、勇みあって、その朝、一万余騎を催し、奈良へ駆け向かった。 奈良坂にある大和守兼忠の手兵に、妹尾せのお
兼康かねやす の残兵も加えて、まず、奈良坂口の砦とりで
を攻めつぶし、次いで、般若寺はんにゃじ
の城郭を取り囲んだ。 ここは、堅塁けんるい
である。 戦いくさ に、その日は暮れ、夜になった。 奇兵を忍ばせて、やっと、そこを陥おと
したのが、夜半である。陥ちたとなると、僧兵の多くは徒歩かち
、武者は騎馬、法師勢の討死は、数も知れない。 坂ノ四郎永覚えいかく
という大法師は、「七大寺、十五大寺のうちにも、われほどな者やある」 と、つねに豪語していた大悪僧だけあって、見事な退き方であった。 同宿どうしゅく
(仲間の僧) 大勢と一つになり、引っ返しては戦い、引っ返しては、追手を悩まし、ついに、一人になし果てながらも、悠々ゆうゆう
と、平家勢を、しり眼にかけて、南の方へ、落ちて行った。 |