〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Y 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (八) ──
か ま く ら 殿 の 巻 (つ づ き)

2013/09/08 (日) しゃく しん だい ぶつちょう にん げん (二)

「早かった。よくぞ」
こういうまでに、彼の頭はまだ、索漠さくばく としていたが、自分の吐く言葉が、次第に、彼の意志を、打ち堅めていた。
「重衡は、八千騎を持て、通盛は、五千騎を、率いて行くがよい」
「はいっ」
「行く手は、南都ぞ。── 以仁王もちひとおう 、頼政の謀叛のおりにも、南都は、うしろにあって、宮を使嗾しそう し奉り、以後も、あらためる風は、みじんもない」
「宇治川の落武者、三井寺の僧どもも、みな奈良に潜みおりますとか」
「いずれにせよ、南都の伽藍がらん と、平家の門とは、ひとつ地上に、ひとつ日輪を仰ぎ得ぬ異物だ。夜明くるごとに、陽の沈むごとに、清盛の死を祈り、平家の滅亡を念じおる衆徒めらを、どうしても、一度は らしおかねばなるまい」
「きっと、いたして参りまする」
「攻め入りならば、一度で事のすむように、威力を示して来い。藤原氏代々の氏寺うじでら 、摂家堂上の泣き恨みやら非難やら、いずれは、わが家へ降りそそぐに違いない。── が、あらゆるそし りは、おれが着る。悪人入道清盛が、身にかぶる。── 年久しゅうして、魔性外道げどう の古巣となった末法の暗黒界の、大鐘を打ち鳴らしてまいれ」
これほどには、言う気もなかったのに、清盛は、自分の語気に酔って言った。一言を吐くごとに、彼自身、陣頭の阿修羅あしゅら になった。
「行け」
とばかり、重衡しげひら通盛みちもり は、勇みあって、その朝、一万余騎を催し、奈良へ駆け向かった。
奈良坂にある大和守兼忠の手兵に、妹尾せのお 兼康かねやす の残兵も加えて、まず、奈良坂口のとりで を攻めつぶし、次いで、般若寺はんにゃじ の城郭を取り囲んだ。
ここは、堅塁けんるい である。
いくさ に、その日は暮れ、夜になった。
奇兵を忍ばせて、やっと、そこをおと したのが、夜半である。陥ちたとなると、僧兵の多くは徒歩かち 、武者は騎馬、法師勢の討死は、数も知れない。
坂ノ四郎永覚えいかく という大法師は、「七大寺、十五大寺のうちにも、われほどな者やある」 と、つねに豪語していた大悪僧だけあって、見事な退き方であった。
同宿どうしゅく (仲間の僧) 大勢と一つになり、引っ返しては戦い、引っ返しては、追手を悩まし、ついに、一人になし果てながらも、悠々ゆうゆう と、平家勢を、しり眼にかけて、南の方へ、落ちて行った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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