〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Y 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (八) ──
か ま く ら 殿 の 巻 (つ づ き)

2013/09/07 (土) しゃく しん だい ぶつちょう にん げん (一)

清盛の一子、とう中将ちゅうじょう 重衡しげひら と、門脇殿かどわきどの (教盛) の嫡男、中宮亮通盛は、時ならぬ西西条の召しに、
「何事やらん?」
と、すぐ駆けつけて来た。
霜の朝は、真白に、明けていた。
入道清盛は、もう蓬壺ほうこ (室名) に出ていた。一見、常の彼と、変りはない。── ただ、白々と明けて来た霜景色を外に見つめ、ゆうべの自身が、自分でもけさの想念に、つかめないでいるような姿にも見える。
けれど、小薙刀のわざ は、彼にも、はっきり思い出せた。夢中でしたことではない。意志である。あきらかに、行為を楽しんでした行為だ。
「はて、おれはけさ、たれを待つのか?」
むしろ、明瞭めいりょう を欠いているのは、それからの記憶であった。宿直とのい たちのうろたえや、口々な言葉だった。自分も言った気がする自分の言葉である。何をわめ いたろうかと思う。
通盛みちもり にござりまする」
「お召しによって、重衡しげひら 、参上いたしました」
蓬壺ほうこ の次の間で、声がした。
ちょう が引かれ、境の絵襖えぶすま が開かれる。
重衡、二十七歳。通盛みちもり 三十一歳。いずれも、華やかな公達きんだち 武者むしゃ である。それが、姿を並べて、手をつかえている。
の花おどし、萌黄もえぎ おどし、きらびやかな陣刀。そうした眼を射るがごとき装いを見て、清盛は、はっとした。
(・・・・そうか、二人を呼びにやり、陣触れを申し渡したのだ。陣触れを)
思い出した面持ちだが、しかし、それは少しも いている色ではない。
自分以外の者が、自分をして、こう、させたのだと思う。日ごろの小心な自分では、決断し得ないことである。自分に代って、何ものかの力が、二人を呼び寄せたものだろう。それならそれでいい。いや、今となっては、それ以外に取る方法はないだろう。手をこまぬ いていれば、平家の自滅だ。清盛自身の死は、さほどにも惜しみはない。正直、そう死にたくない気もして来ない。年齢である。だが、煩悩ぼんのう は捨てきれない。一族、無数の行く末を思えば、このまま、自滅を待つ気には、どうしてもなれないのだ。
(かくて、死ぬまで、食うか食われるかのごう を、おれは、やり尽くさねばならないのか)
そう思いながら枕についた昨夜であった。── いやなお、ごういと わしさに、心も定まらず、善心と鬼とが一つに住む空洞を抱いたまま、眠らぬごとく、いつか眠ったものとみえる。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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