それなのに、時おり、寝所の内で、大声がした。・・・・宿直
が、はっとして、耳をそばだてていると、それきりである。 帳台のあたり、深沈しんちん
と、燭しょく はほの暗い。 そのうちに、また、 ──
ばか野郎っ。 清盛の大声である。 しかも、清盛が、まだ平太と呼ばれ、尻切しりき
れ草履をはいて、意欲の辻を、夜々さまようていたころの野性を思わすような ── 生地きじ
そのままな怒声であった。 宿直とのい
の侍が、畏おそ るおそる、壁代かべしろ
の蔭から、内をうかがった。 その声に、はっきりと、眼ざめたように、清盛は、むくと、床上しょうじょう
に起き直って、 「なに。なんじゃと」 「お呼びではございませんでしたか」 「・・・・・呼ぶものか」 真冬、十二月の寒さなのに、ひたいに、汗をうかせている。 ひたと、掌てのひら
を、わがひたいに当て、 「たわけ者よ。何をうろたえて、なんで、よう眠っているものを起こすか。たれも、呼びもせぬに」 と、しかりながら、胸の汗、腋わき
の汗をふいて、また、深々と、夜具をかぶった。 ── 寝られなくなった。天井を見る、唐織からおり
の帳ちょう をながめる。 紛まぎ
れ得ない。かれ自身、紛らすことが出来ない。 心の空洞に生じた、べつな心が、官能を支配し、眠っているまも、乱舞してやまないのだ。主体の彼を、懊悩おうのう
させ、輾転てんてん と、苦しませて、やまないのである。 「・・・・ちえっ、眼ざわりな」 突然、彼は、突っ立った。 よろと、老いたる彼の影は、いつも、枕もとの守りにと立てかけたある小薙刀きなぎなた
のそばへ寄って行った。蛭巻ひるまき
の下を把と って、小わきに持ち直したと思うと
── 普賢ふげん 、勢至せいし
、観音かんのん 、阿弥陀あみだ
像ぞう ── など、截金きりがね
まばゆい屏風絵びょうぶえ の仏たちをめがけて、 末法のにせ絵え
」 と、いっては、小薙刀を閃々せんせん
と振り下ろし、 「外道げどう
の魔符まふ 」 と、ののしっては、ズタズタに、斬り裂いた。 「あっ、何事?」 と宿直とのい
たちの跫音が駆け入って来たとき、屏風びょうぶ
はたおれ、燭しょく も消え、二日月に似た刃物と、白い寝衣姿ねまきすがた
の入道の影とが、闇の中に、じっとしていた。 「や、や。いかがなされましたか」 「もの狂わしきお姿」 「なんぞ、悪夢にでも」 宿直たちは、口々に言うだけで、近づきかねた。 「なに。乱心というか。悪夢と申すか。・・・・はははは、いずれでもよい」 清盛は、笑い出した。自嘲じちょう
のひびきがある。小薙刀を手に、つかつかと、寝所を立ち出で、 「まだ、夜は白まぬか。── 大廂おおびさし
の冴さ えたるは、月か、霜か」 「はや、夜明けも間近う覚えまするが」 「さらば、侍どもを呼び起こし、頭とう
ノ中将が許へ、早馬せよ。中宮亮ちゅうぐうのすけ
通盛みちもり へも、すぐ参れと、門を打ちたたけ。早うせよ、者ども」 大殿おおどの
は、狼狽ろうばい の響きに充ちた。 近習も、みな起き出で、遠侍の口や、侍門のあたりでは、はやくも、かがり火が燃えさかり、馬蹄ばてい
の音が聞こえ、厩うまや 長屋の馬もみな、足掻あが
きしたり、いなないたり、入道のひと声に、西八条の第てい
は、震ふる え立った。 |