「・・・・なに。猿沢のばぎさに、六十余人のわが郎党の首を掛け並べたと」 清盛は彼の言葉を、逐一聞き終わって、さすがに、心の平静を保ちきれない容子だった。 「・・・・うむ」 幾たびも、幾たびも、乾
いた下唇を、前歯で、こするように、噛か
みしめた。 余りに強く唇を噛んでいたせいであろう。根のゆるい老いの前歯の一つが、ミリッと口の中で軋きし
んだ。── 無意識に、彼は掌てのひら
で、口を塞ふさ いだ。舌の先から、その掌へ、異様なほど大きく感じられるものが、ポロリと吐き出された。 歯が抜けた。腐っている大きな根である。 唇の端に、ほんの少し、血が滲んだ。清盛は掌て
のうえの物を見て、 「この日ごろ、物食うたびに、痛み疼うず
いていたのは、これだったか。── 糞坊主くそぼうず
」 血の唾つば を、懐紙へ吐き出し、歯をくるんで、高欄おばしま
ごしに、庭面へほうり捨てた。 すると、庭先へ、遠侍とおざむらい
の一人がひざまずき、 「奈良より逃げ帰って来たと申す。次郎大夫じろうたいふ
友方ともがた と、ほか、二、三の郎党が、ただ今、妹尾殿せのおどの
を慕うて、中門まで見えましたが」 と伝えに来た。 妹尾兼康は、 「さては、ゆうべ、乱闘の間に、迷は
ぐれ別れた味方の者でございましょう。はて、かような所へ来ても」 と、当惑顔をした。 清盛は、兼康がつぶやいているまに、庭面の侍へ、自分から命じていた。 「次郎大夫友方とやら一名を、ここへ通せ。その者からも、何か、べつなことを、聞き得るやも知れぬ」 しぐ、その男は、庭前へ来て、平伏した。 彼は、福井ノ庄の下司げす
から、六波羅へ転役して来たばかりの者だが、妹尾兼康について、きのう奈良へ向かった一人だった。 正直者なので、いい渡された通り、あくまで、無抵抗を守っていた。そのため、かえって、敵の法師に、さんざん、蹴け
ったり踏んだりされたあげく、捕虜になってしまった。 一晩、大木の根に繋つな
がれ、他の者は、夜明け前に、みな、首を打たれてしまったが、彼のみは、置き忘れられていた。 場所が、鬱蒼うっそう
たる森の蔭だったので、つい、見出されずにしまったらしい。 昼になっても、たれも来なかった。そのまま根気よく、縄目なわめ
を食い切り、首尾よく、命拾いして来ました ── と、兼康に語るのだった。 「ほかには、なんぞ、異い
なことを、見なかったか」 兼康が問うのを、待っていたように、次郎大夫はまた答えた。 「恐ろしいことを、眼に見申した。それは、かような儀でおざる」 と、清盛の前もはばからず
── いや清盛の前なので、なお、昂たか
ぶって、言ったのかも知れない。 興福寺では、平相国へいしょうこく
(清盛) の御寿命をちぢめ参らせんと、暁天の鐘を合図に、寺々で修法を行っている。そして、それがすむと、大勢の法師が、南大門の広場へ出て来て、 (打て) (踏め) (打ち砕け) などと言いはやしながら、不思議な遊戯をやり始めた。一個の大きな木製の毬まり
を、大勢が争って蹴上げたり、杖で打ちすえたり、唾したり、両手にさし上げて叩きつけたり、そして、どっと嘲わら
ったり、何しろ、異様な熱意でやりつづける。 よく見ると、その木製の毬まり
には、入道殿の似顔が描いてある。つまり大きなその木毬きまり
を、平相国の首と見立てているのである。 杖は、毬杖ぎつちよう
といって、先が槌形つちがた になっている杖であり、それで木毬きまり
を打ち争う競技である。その遊戯にことよせて、じつは、清盛調伏じょうぶく
の気勢をあげているものだった。 「おそれ多くも、今上の外祖父におわせられる御方に対し、あろうことか、あるまいことか、これや、魔界の魔の所為しょい
、見る眼も恐ろしと、眼をおおうて、逃げもどりまいた。・・・・およそ、興福、東大寺の大衆は、そのように、物狂うた有様にござりまする」 と、述べたてた。 清盛は眉も動かさなかった。石と化した人のようである。ただ、なお滲にじ
み出た歯ぐきの血が、臙脂えんじ
のごとく、唇の端に乾いていた。 |