〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Y 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (八) ──
か ま く ら 殿 の 巻 (つ づ き)

2013/09/05 (木) 馬 と 鹿 (二)

今日の相手は、いつもと違う。牛車に乗った公卿ではない。
五百余騎の武者だ。
僧兵たちも、初めは、
「油断すな」
と、いまし めあっていたが、
「あれ見よ。敵は せもせず、道を避けたぞ。何か、計るところがあるやも知れぬ。一手は先へまわれ、一手は、追い討ちをかけてくれん」
と、包囲のかたちを取った。
松の大並木である。鹿しか がたくさん遊んでいた。そのその鹿にも似て敏捷びんしょう な僧兵の群れは、小うるさく前後からから みかかって、
「何者ぞ、我らの寺内へ、兵馬を乗り入れんとするやから は」
と、まず怒鳴った。
兼康の兵は、かたく、無抵抗を言い渡されていたので、おし の軍隊のように、黙々と、ただ道を開こうとしていた。
「六波羅の兵か」
「悪入道の手勢よな」
「この霊域れいいき へ、不浄な手下は、立ち入り相ならぬ。下郎げろう ども、帰れっ、六波羅の下郎ども、退散せい」
口汚いののしりが沸く、声ばかりでなく、石つぶて、牛の草鞋わんらい 、木ぎれ、いろいろな物も飛んで来る。
兼康は、木像のような無反応を姿にもち、やがて、部下を見渡して、
こま を降りて、夜のとばり を張りまわせ」
と、命令した。
野営の用意である。兵は一せいに馬を降り、近くの林に入って、陣幕を拡げはじめた。
怒号が起こった。
設営せつえい を邪げる大法師らと、武者との間に、ついに格闘が始まり、あなやと思う間に、血を見てしまったものである。
「もう、我慢ならぬ」
武者の四、五人が、僧兵の中へ斬り込んでいた。 「討たすな」 と、呼ばわりあい、ほかの武者もどっと、助けに駆け入ってゆく。
おりふし、黄昏たそが れである。
興福寺大衆は、地の利に明るく、一石一ぼく の暗がりも知っている。それにまた、積極意的だ。
「敵は、恐るるに足らん。かつて、叡山に向かっても、勝ったためしのない平家、先ごろは、富士川でも、散々になって、逃げくずれて帰った平家武者ぞ」
南都で名うての悪僧と見え、音声おんじょう もすさまじく、衆徒を鼓舞している大法師もある。
妹尾せのおの 兼康は、はや る味方へ、
「逃げよ、ここは逃げよ」
と、声をからし、
「あれほど、言い渡しておいたことぞ。手抗てむか いすな、刃交はま ぜはならぬぞ、退 けや人びと」
と、制止していた。
しかし、その人自身さえ、今は、刃に対するに刃をもって、防がずにはいられなかった。まして、部下はもう、破れかぶれ、いのしし 武者となり終わっている。
弓矢を持たないために、かえって、戦闘は、激烈なものとなった。僧兵の数は、武者に、何倍していた。討たれる者は、兼康の部下に多く、やがて兼康の身も、当然危うくなった。
「おれにつづいて逃げろ」
馬に乗って、まず兼康から、逃げてみせた。わざと、わっと、啼くがごとく、彼のあとから、逃げつづいて来る味方を見て ── 兼康は、走りながらも、口惜くや し涙がとまらなかった。
奈良坂まで、落ちて来て、大和守兼忠の築土ついじ うち楯籠たてこも る。── そして、味方の数をしらべると、なお、百人は不足していた。
「あと者どもは、いかがせしか」
夜明けを待ちかねて、昨日の場所へ、探りに行ってみると、猿沢さるさわ の池のほとりに、六十幾人かの首が、かけ並べてあった。
すべて、自分の部下の首だ。弓を持たず、抵抗も禁じられていた為に討たれた者の首である。
「これが僧侶そうりょ の仕打ちか。おのれ」
今はと、彼の堪忍も、限界に立った。
残る四百騎をもって、突撃しよう、このはじ をうけ、この部下の犠牲を見ては、このまま都には帰れぬと、身をふるわせた。
けれど、主命も、思い当たってくる。堪忍を旗として行けと、入道殿には言われた。これでは、主命をまつと うしたものとはいえぬ。むしろ主命を恥ずかしめるものだ。 「── このうえ、失策の上塗りしては」 と思い返し、妹尾せのおの 太郎兼康は、兵を奈良坂にとどめておき、ひとり馬を飛ばして、西八条へ、次のさしずを仰ぎに帰った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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