〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Y 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (八) ──
か ま く ら 殿 の 巻 (つ づ き)

2013/09/03 (火) まげ けん (三)

あくまで、政治的処理を方針と決めていたので、清盛は、大和守兼忠の知らせを受けても、
「立ち帰って、常の如く、役務を っておれ」
と、あっさり、帰した。
しかし、こわ いのは、自分だと思っている。── 兼忠の報告を聞く間にも、たか まる感情が、こめかみ辺りで、長虫のように、脈を打つ。
にく さ、いきどお ろしさ。また、時局が時局だけに、底知れない不安にも襲われてくる。
兼康かねやす 。── すぐ参って、関白殿を、お迎え申し上げて来い。入道より、折り入っての、御懇談があればと」
命を受けた妹尾太郎せのうのたろう 兼康かねやす は、やがて、夜には入ってから、関白基房の車につきそい、西八条へ戻って来た。
「奈良の春日や二大寺、特に興福寺は、藤原氏代々の氏寺うじでら でおざろうが」
清盛は、まず言った。
基房の手によって、南都の不穏をなだめ、彼らの底意は何か、不平は何か、求むるものを聞いてくれと、頼んだのである。
うけたまわ りました」
基房は、深更しんこう に帰った。── うじ長者ちょうじゃ たる家柄に自信があった。南都の大衆も、自分には服すだろうと、考えていた。
で、ただちに、興福寺衆とは関係の深い、有官うかん別当べっとう (勧学院の長官) 忠成に、旨を含め、使者として、奈良へやった。
何事の不平があるにしても、所存の旨は、幾度でも、奏聞そうもん に及んだらよいではないか。西八条へ訴え出なくとも、院の御所へそう したらよい。 ── 近ごろ、院政も以前に復し、法皇の叡旨えいし によるおさば きを仰ぐことも出来るものを」
と、なだめさせたのである。
ところが、しの伝達が、正しく寺中へ披露出来ないうちに、
「入道の使いを、乗物から引き落せ」
とばかり、気の立った興福寺大衆は、牛車を襲ってさんざんな狼藉ろうぜき を加え、使者の忠成を、追い返してしまった。
右衛門督うえもんのかみ 親雅ちかまさ は、関白から差し向けられた二度目の使者であったが、これも興福寺山門にかからぬ途中で、大衆の暴行にあい、大衆は口々に、
もとどり を、切っ払え」
もとどり を切れ」
と、わめき騒いだ。
断髪の私刑は、最大な侮辱である。その主君への辱しめでもあった。
親雅ちかまさ の供をして来た勧学院の雑色数人が、まげ を、ちょん切られ、親雅も切られぞこなった。彼は、頭をかかえ、ほうほうのてい で、都へ、逃げ帰った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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