〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Y 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (八) ──
か ま く ら 殿 の 巻 (つ づ き)

2013/09/02 (月) 浮 巣 の 都 (四)

「時忠、一度、都の大掃除をやれ」
清盛は、西八条のてい へ入った直後、大理卿時忠を招いてそう言った。
また、そのさい、
「近ごろ、近江源氏と称して、義経なる者が、しきりに、徒党を狩り集め、不穏ふおんかも しておると聞くが、先年、おこと と義経の間には、以後、洛内に凶徒は入れまじと、証文にしるし、かたく誓約したことではなかったか。── まんまと、御辺は、義経めに、計られたな」
と、初めて、あのおり、時忠がとった処置への不満を匂わした。
「いや、時忠は決して、彼に、たばかれてはおりません」
時忠は苦笑しながら、抗弁した。
「── 仰せの、義経とは、山下義経と申し、まことの九郎義経は、約をたがえず、奥州へ去り、今では、鎌倉におりまする」
「では、別人か」
「まったくの別人です」
と、はっきり答え、
「その山下義経と申すは、新宮十郎行家の子息で、新宮行宗という者。── 仰せ出でを待つまでもなく、機を見て、ちょう (検非違使) の兵を差し向け、一掃いっそう せんと考えていたところでした」
「庁の武者だけでは心もとない」
清盛は、思案の末、
「知盛を大将として、べつに、近江へ一軍を出そう。大理卿だいりきょう たる御辺ごへん は、あくまで、洛内の治安と、不安の一掃に心がけて欲しい」
と、言った。
時忠の洛内粛清は、烈日のような厳しさを極めた。
空き屋敷だの、寺院の庫裡くり だの、また羅生門の上に巣食っていた無数の浮浪や飢民まで狩り出して、都の外へ追い払った。
これがまた、下層民の、平家に対する怨みとなったのは、いうまでもない。
一方。
知盛は、一子知章ともあきら とともに数千の兵を率いて、近江の堅田へ出撃した。
湖族ノ庄は、不意をつかれたかたちで、炎々たる黒けむりをあげ、知盛の兵馬に思いのまま駆け散らされてしまった。
堅田三家の者は、山下義経を主将に、坂本まで退がって、交戦したが、さrに、湖畔を逃げなだれ、さいごに園城寺おんじょうじ へ、立て籠もった。
ここに って、
「出で合え、出で合い候え」
と、山門や南都の同心へ呼びかけ、そのまに、東国へ早馬を飛ばして、鎌倉勢の上洛を求めようとしたのである。
だが園城寺 (三井寺) は、さきに以仁王もちひとおう と頼政の謀叛むほんくみ したとき、六波羅兵のために、焼き払われ、今は、守るに足るような楼門やかき もない。
それでも五、六日は、焼け残りの堂塔と地の利をたのんで、抵抗したが、知盛からの戦況を受けた入道相国は、
「すぐ行け」
と、なお平清房きよふさ を将として、兵三千を、急派した。
わずかに残っていた園城寺の一部も、たちまち大火焔だいかえん となって、林泉も焼け、山も焼け、堅田党の主なる者、また近江源氏のたれかれも、ほとんどが、討死か、捕虜となった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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