入道清盛は、なお、あとに残った。 「おれは、始末をして、あとより参る」 と言い、還幸を見とどけてから、数日後に、福原を出たのであった。 「生涯のうちに、ふたたび、この福原へ来る日があるrかどうか」 雪ノ御所を去るに当たって、彼は、これまでにない感傷を抱いた。 その朝、だだ一人で、楼上に立ち、輪田ノ磯から経ヶ島の築港、寄せ返す白波の海原
など、飽かぬ面おも もちでながめていた。 「おれが去ったら、ここはまた、元のわびたる礒藻いそも
と松風だけの漁村になろう」 手しおにかけて育てたものと別れるような愛惜を、彼は、この土地に抱いた。 「福原に居きょ
を構えてからでも十四年、さかのぼれば、冠者かじゃ
のころからの、宿縁の地であった。・・・・いや、このような港となし、町とするまでには、清盛が半生の全智と財を傾けたよいってもよい。・・・・だが、今はここをも、捨てねばならぬか」 ──
たれか自分と福原との別離の深情を知ってくれるものぞ ── といいたげで。 たれもありはしない。天下、たれひとり、それを知ってくれる者はないのだ。 ──
と思うと、清盛のために、その惜別の深さをなぐさめてやれるのは、清盛のほかにない。 主上、上皇、法皇はいわずもがな、公卿百官も、一門の輩ともがら
までも、還都と聞くや、あのように喜びと、あわただしさをもって、潮うしお
の退くごとく、旧都へさして、争い帰ってしまった、── あとの福原に一顧いっこ
の惜しみも、一片の思いも、残しはしない。 「世は泡沫うたかた
というが、山河の悠久ゆうきゅう
に変りはない。今の人間どもの姿こそ、まこと、泡沫うたかた
のままよ。清盛が計けい を立て、思いを燃やしたこの国への望みと未来の如きは、彼らにとって、いわば身の迷惑にすぎないのであろ・・・・・やんぬるかな。・・・・ああ」 その日、残る軍兵数千を率い、福原をあとに、陸路、旧都へ立った清盛の心には、人知れず、もう、二度とこの地を見る日はえるまいという予感があった。 なぜならば、彼としても、 「三度の都遷うつ
しは出来ぬ」 と、近側へも、つぶやいていたし、都を置く所に、今は、自分の身もおかずにいられない四囲の状況だからである。 しかし、入道清盛が、西八条へ帰った後も、その状況は、良くならなかった。 むしろ、空巣の都に跳躍ちょうやく
していた分子が、またぞろ、流言、放火、強盗など、あらゆる撹乱をやり始めて来た。 |