〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Y 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (八) ──
か ま く ら 殿 の 巻 (つ づ き)

2013/09/01 (日) これ もり せん てん まつ (二)

頼朝追討軍の失敗は、都を立たぬ前にあった。それは出陣の出遅れにある。また、上総守忠清の狭量による帷幕いばく の違和も、それを決定づけていた。
だが、実盛は、忠清の言行については、何も触れなかった。
恨みがましい讒訴ざんそ は一言も言わず、ただ平軍必敗のきざ しは歴然であるとして、四つの難を、かぞえた。
第一には。
ことしの空梅雨からつゆ のための飢饉である。西国同様、海道一円も大不作で、現地の食糧は極度に涸渇こかつ しており、後方の補給も望みがたいこと。
第二には。
沿道の労役不足。飢民の不穏。
代三には。
味方の作戦齟齬そご があげられる。伊東祐親や大庭景親などの有力な東国の味方が、都の大軍の着かぬ以前に、敵にせん を打たれてことごとく滅亡してしまったこと。
代四には。
後方の不安だった。もし尾張の知多あたりへ源氏方が上陸して、海道を遮断しゃだん するなら、平家二万は、袋のねずみ でしかないこと。
このばあい、飢民の来襲も予測されよう。としたら、何分の一が、無事に都へ帰ることが出来ようか。
実盛は、宗盛に向かい、 んでふくめるように、説くのだった。
やがて、宗盛も、いちいちうなずいた。
六波羅の庁令でさえも、糧米の公収はまったく成績が悪い。興福寺大衆や園城寺などの妨害にもよるが、事実、近畿の不作もひどいのである。
遠い戦地への輸送などは、思いもよらないし、現地の調達も困難だとすると、それだけでも、実盛の憂えは、無理もないと考えられた。まして、実情が、すべて実盛のいうようなものだとすれば、頼朝追討の計は、中央としても、大失敗であったと認めるしかあるまい。
「そうか。よく分かった。そちの忠言と、上総守忠清の意見とが、相 れぬとみえる。そのため、急を都へ訴えに来たか。・・・・いやいや、そちは申さずとも、察しはつく。・・・・はて、困ったものよのう」
宗盛は、まったく滅入めい りこんで、
「ともあれ、 の一存では、何も計れぬ。相国しょうこく 禅門へお伺いしてみたうえで」
と、実盛を館に待たせておき、にわかに、雪ノ御所へ車をやった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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