平家の陣中に聞こえていた管絃の音は、もちろん、この一瞬にかき消えた。──
それに代るに、馬の狂奔と、いななきと、武者のわめきと、女の悲鳴などが、夜半の闇を、われからなお、暗澹
なものにしていた。 すでに、そこへは、潜行した源氏勢の馬蹄ばてい
が突入していたのである。── 上流から奇襲に出た武田信義、一条忠頼、江馬四郎義時、佐々木定綱、盛綱などの一隊、二隊、三隊と駆け続くのがそれだった。 また、べつな一軍は、甲斐境を大まわりして、富士見峠から庵原へ下り、平軍の後方を断とうとしたが、これは、間に合わなかった。 なぜならば、早くも平家の総軍は、総なだれとなり、怒濤どとう
の退ひ くような迅はや
い逃げ足を見せていたからである。 「退くな、見ぐるしい」 「どの顔さげて、都へ帰るぞ」 維盛、忠度のみか、恥を知る公達輩きんだちばら
は、声をからし、あぶみを踏んばり、幾度かは、死力を賭か
けて、踏みとどまろうと試みた。 「いや、ここはお退きあるが御分別です。殿軍しんがり
は、それがしにお任せあった」 伊勢武者、伊藤次郎景安の一手は、あとに残って奮戦した。源氏の飯田太郎を討ち、さんざん働いて、討死した。 源氏勢は、由比、薩?さった
、清見潟を見ても、なお追撃をゆるめない。 武田信光、三浦義澄、和田義盛、土肥遠平など── 後方から頼朝の伝令があり、 「長追いすな、引っ返せ」 と呼び止められても、耳もかさないほどだった。 平家勢といえば。 一たんの逃げ足は、異様な恐怖心理も手伝って、とどまる所もなく、夜が明けても、後ろに敵を見なくなっても、わらがちに、海道を支離滅裂に逃げ急いでいた。 そして、都近くになるまでは、一日一夜も、彼らは、その恐怖から解かれる事もなかった。 源氏武者に追われなくなったと思えば、途々、いたる所の飢餓の群集に襲われ、飢民の虎口ここう
から逃れたと思うと、また源氏の船が海から兵を上げて、道を塞ふさ
いでいるなどと脅かされた。 維盛、忠度の両将が、疲れ果てた駒を不破ノ関に佇ませたとき、前後に見た味方は、わずか五、六十名にも足らなかった。 その中に、上総忠清は見えない。 二人の胸には、その忠清の生死よりも、今となっては、あの老武者斎藤実盛の直言が、ひしひし、思い出されていた。 |