渡り鳥が、また、雲間を縫って行く。 陣地は、半里にもわたっているが、一火の光もなく、馬も人も、眠っているように、寂としていた。 「殿。・・・・他の方々にも、ここへ出て御覧
じあらぬか」 陣幕の外から、岡崎おかざき
義実よしざね が、さし招いた。 何かと、人びとは彼につれて、幕営の外へ出て行った。眼にはいる物もない。渺びょう
として、薄明の大河と雨気をふくんだ月色があるだけだった。 「なんじゃ、義実殿のたばかりよな」 「いやいや、しばし、こうしておられい」 義実は、兜かぶと
のしころを指先で上げ、耳を対岸の方へ向けて見せた。 ── オオと、人びとも耳をそばだてた。 おりおり微風に乗って、遠い水のかなたから、優雅な管絃の調べが聞こえて来る。 諸将のうしろに佇たたず
んで、頼朝もはっきり聞いた。 「・・・・はて、あの優雅みやび
優雅みやび なまねは、悠長ゆうちょう
さは?」 「いかに平家の公達きんだち
とて」 諸将は怪しみあった。坂東武者には解と
けない都人みやこびと の心理なので、物もの
の怪け でも探るような疑心を抱いた。 が、頼朝はそれを、敵が、心の余裕を誇るものと聞いた。示威でさえあると思った。 「憎い敵かな」 そうつぶやいて、 「まだか、約束は」 と、催促さいそく
するように諸将を見まわした。 そのとき、はるか上流の安居あご
山やま のいただきに、星ほどな火が明滅した。それに応こた
えるように、対岸遠くの富士見峠にも、チラと幾つもの火光がうごいた。 「あっ、見えまする」 「おうっ」 と、頼朝もあたりの諸声もろごえ
と共に叫んで 「── 馬を」 とどなった。 令の必要はない。令は事前に行き渡っている。 頼朝は、馬上に、諸将は、部署へ向かって駆か
けなだれ、螺兵らへい は貝を吹いた。 真っ黒に、人馬が渦巻く。しかし一律の下にある秩序を示し、それが整々たる陣形をなすとともに、長い岩壁が押し出されるように、河原の際まで、地鳴りをとどろかして駆け出した。 中軍だけではない。 富士川の約半里にわたる水際にそれが起こった。 それと、陣々の全線から三保の川口、海上にかけてまで、松明たいまつ
、漁火いさりび 、かがり火、野火、あらゆる所に火焔かえん
がいぶり出した。これを平家側から望見したら、筑紫つくし
の不知火しらぬい かとも疑われたにちがいない。 |