~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
長 江 を 渡 る (三)
召平のことは、しばらくおく。
さて、項梁のほうである。
彼は群雄たちの中で、たれよりもたやすくクーデターに成功した。
呉中の県令の首を刎ねて、呉県を制し、さらに郡を制した。郡はいうまでもなく、県をいくるかつらねた広域行政区である。項梁らの場合は、会稽かいけい郡であった。郡守を殺し、項梁みずから会稽郡の郡守になった。
これらのことを、あっという間にやってのけた。
── 近頃は、項梁さまが郡守であるそうな。
と、会稽郡の人々は、あとになって知った。一陣の疾風がひとすじに走って行政組織の中心を砕いてしまったのである。
項梁の面白さは、独立して王にならず、単に秦の官僚制度上の名称をそのまま踏襲して郡守を称したことにある。
風変りといってよいが、よく考えてみると、江南の地においては、むしろ秦の機構を使って人民に命令を下すほうが、民情に適していたのかも知れない。このあたりは、戦国の呉やえつの故地で、その後に亡楚の版図はんとに入っているが、言葉も、楚の言語と少し違っている。呉越の人々は集団になれば剽悍ひょうかんであったが、個々には羊のようにおとなしい。
彼らが上の命令には忠順であるという共通の性格を項梁は知っていたのである。
── こういうときは、時をおくべきではない。
と、項梁は考えていた。
「車輪のようにまわるべきだ」
と、項梁は言う。副将格であるおい・・の項羽は、そのために存在した。
「項羽よ、江南をことごとく斬り従えてしまえ」
と、おい・・に命じた。おい・・は何頭もの換え馬を乗りかえては乗り潰し、江南全域をけまわって鎮撫ちんぶをした。
すでに集まる者は、八千である。彼らの食糧は、稲の国である江南の地がゆったりとまかなってくれるに相違ない。
(あせることはない)
項梁は、思っていた。揚子江を北へ渡れば流民のるつぼ・・・で、そういう中へ斬り込んで行っても、軍糧を求めることが困難であった。それよりもしばらく江南にとどまってこの地を項氏にとっての金城湯池きんじょうとうちにし、民を馴致じゅんちしておくほうがよい。
項羽にも、
「われわれは、当分、江南に蟠踞ばんきょするのだ」
と、言いきかせていた。勢力をたくわえてうずくまっていれば、江北の沸騰ふっとうのなかで消長している諸勢が、項氏の実力を聞き伝えて向うからやって来るに違いない。
まことに項梁は抜け目のない男だった。
会稽の山水を楽しみながら、関心は揚子江以北にあり、多数の探索者を出していた。関心の第一は、陳勝の動向だった。陳勝の勢威は、枯野が燃えさかるようにさかんな時期である。
そのうち、探索者から、陳勝が、亡楚を復興するという事で「張楚ちょうそ」という国名を号した、という情報を得た。
「張楚」
項羽は、首をひねった。
「どうも熟しない名前だ。なぜ単に、楚と言わないのか」
探索者に聞いた。この探索者はもとは江北の湖沼こしょう地帯の小作人だった男で、江南に流れて来た男である。小作人としての共感があるのか、陳勝びいきであった。
「にわかに楚と号すれば、楚の名族がいやがることを陳勝どのは知っているのではありますまいか」
と、言った。
「つまりは、遠慮か」
と、項梁は反問した。項梁は、陳勝という人間がどういう性格の、どれほどの器量の男であるかを理解しようとしている。その点、重要な機微といっていい。つまりは亡楚の旧貴族に遠慮する男か。さらにはその遠慮は性格的なものであるのか、それとも計算か。・・・・お前はどう思うか、と項梁が聞くと、探索者はしばらく考えてから、
「計算でございましょう」
と、言った。
(とすれば、陳勝は思ったほどには小人物ではない)
項梁の中の陳勝像が、すこしずつ目や鼻をつけて輪郭が出来てゆくようである。探索者は、さらに言った。
「張楚というのは、楚の威勢を張るという意味でございます。張る、という言葉はおおぜいで張るということでございますから、陳勝が何もかもを独り占めするという印象が薄うございましょう?」
「いかにも、陳勝一個のかげ・・が薄いことばだ」
「でございますから、亡楚の貴族だった方々も、陳勝に応援しようという気分に当然なるわけで、そういう大向こうを考えての名称であるかとぞんじます」

やがて、別の探索者が戻って来て、陳勝が、王を称した、というむねのことを項梁に伝えた。
「早くも、王を称したか」
ほんの数ヶ月前に挙兵した無名の農民が、もう王になってしまっている。なるほど王と称するに足る程の広さの地面を陳勝が獲得した以上、王を称してさしつかえのないことではあったが、それにしても手軽すぎるようであった。
「楚王と称したか」
「陳王と称しておりまする」
「ほほう、陳王?」
項梁は、意外な感じがし、
(なんと遠慮深いことだ)
と、思った。もっとも陳勝の遠慮がわからぬわけでもない。楚が亡んで歳月が老いてしまっているというわけではなく、楚王の末裔まつえいはどこかで生きている。それをさしおいて楚王を称すればいかにも偽物にせものくさく、陳勝はさすがにそういういかがわしさを避けたのであろう。
2019/12/25
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