〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (五) ──
御 産 の 巻

2013/07/16 (火) えん おう ぎん (一)

とまれ、清盛が院參いんざん を遂げて、親しく後白河法皇にえつ し、夜にはいるまで、胸を割って懇談を給わって帰ったことは、彼の予想以上にも、よい結果と、反響をみた。
何よりは、院中の策動家と、そしてその暗さが一掃される機会となったし、法皇にも、こんどばかりは、
(会わすおもて もない)
と、仰せられぬばかりのてい であった。
御気性が勝っておられるだけに、こう、はっきりと、清盛に " " を取られると、御閉口ぶりも、お気の毒なほどに見られた。
また、これも清盛のすすめによって、撤回を命ぜられたものだが “明雲座主ざす の復帰” の広報が、五日づけ の院宣をもって、叡山に達せられると、山門の大衆は、
「いい分は通った。天日てんじつ 明らか」
「法燈いまだ滅せず ── よ」
讒者ざんしゃ の西光はちゅう されれ、一山、戦わずともすんだというもの。同慶同慶」
と、どよめき渡ってよろこ んだ。
西八条へは、山門の名をもって、
「このたびのお扱い、座主ざす 以下、拝謝申し上げる」
と、十名の使僧が、礼をのべに来たりした。
こういう政治面ばかりでなく、院と西八条との円満な解決を知ると、洛中の町々の色もよみがえ って、
「やれ、合戦もなくすんだわ」
と、商戸は棚を開き、遠くへ疎開した病人や老幼も、手を引き合って帰って来た。
いや、この安心は、庶民だけのものではない。西八条のてい 近くに住む二位殿どの (清盛の夫人時子) にしても、ほっとしたことは、同じであった。
ある朝、その二位殿の侍女が、清盛のよもぎつぼ へ、使いに見え、
「つかの 、お目にかからせていただきたいと、仰せられますが」
と、都合をたず ねに来た。
「よいとも」
清盛は、使いへ言わせて後、ふと、
(思えば、おれにも、二十歳はたち の頃からの、古女房があったわえ)
と、心のうちで、正室への余りな無沙汰に、苦笑を禁じ得なかった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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