ここに、丹波少将成経だけは、父の新大納言成親や一味の人びとが、続々、逮捕されたその朝も、また次の日も、なお、所在が知れなかった。 ちょうど、騒ぎの前の夜から、彼は、院の法住寺殿に上臥
(宿直) していたのである。 宿所を起き出て、いつもの朝のように、嗽うが
いをつかい、髪容かみかたち をととのえ、薄化粧などしていると、坪の先へ、 「少将様っ」 と、一人の雑色ぞうしき
が、血相を変えて、平へい つくばっているのを見た。急を、彼に知らせに来た大納言家の召使であった。 「なに、父の君が、西八条へ召され、縄目なわめ
にかからせ給うたとか」 愕然がくぜん
と、この少将も、顔色を失った。 「ああ、どうしたものか、身のおき場を・・・・父の身を」 父が捕われた以上、自分も一味のひとり、同罪とは、はやくも覚悟したものの、少将はまだ二十一。──
どうしてよいかわからない。 この朝。 法皇には、すでに、大膳太夫信成の暁あかつき
の奏上によって、事件を知っておいでになった。 やがて、御座ぎょざ
の次に、少将の姿を御覧になって、 「今は噪さわ
ぎうろたえても何かせん。── 静かに、ここ両三日の成り行きを見ようよ。おことも、ひそと隠れておれ」 と、お諭さと
しになった。 その二、三日の法住寺殿は、まるで墓場のように、人声もなかった。 常々、かならず出仕する庁の諸生も登庁せず、近習、召次めしつぎ
の人びとも、姿を見せない。 ただ、側仕えの女房たちの影が、わずかに、御簾ぎょれん
のあたりや、廊の通いに、ふと見えるだけだった。 しかし、西光法師が斬られたことだの、また、小松殿が、大納言の命乞いに行かれたが、相国の肯くところとならなかった
── などといううわさは、たれが伝えるのか、いちいち敏感に院の奥へも響いて来る。 (大納言の君も、やがては ──) と、たれもが思い、たれの眼も、その不吉を語っていた。 それもこの夕方か、明日には
── と人はささやく。 少将成経は、ついに、法皇のおん前へ、お暇乞いをしに出た。 「父が生けるうちに、ひと目、会い参らせたく思いまする。・・・・しょせんは、隠れおおせられる身でもありませぬゆえ」 「・・・・行くか」 と、のみ仰せられて、法皇にも、もうお止めになる御気力はなかった。 この少将は、美男であったし、年も二十一といううら若さに、局々つぼねつぼね
の女房たちは、そのうしろ姿を、憐あわ
れがって、袖を濡らさぬはなかったという。 あらかじめ、妻の父 ── 参議さんぎ
教盛のりもり の家へ、走り下部しもべ
をやり、車を求めておいたので、教盛の方から、迎えが来ていた。 この少将は、清盛の弟、教盛のりもり
の息女むすめ を妻としていた。それも、つい二年ほど前に、結婚したばかりである。 |