〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (五) ──
御 産 の 巻

2013/07/15 (月) 「 教 訓 」 の 事 (一)

ここに、丹波少将成経だけは、父の新大納言成親や一味の人びとが、続々、逮捕されたその朝も、また次の日も、なお、所在が知れなかった。
ちょうど、騒ぎの前の夜から、彼は、院の法住寺殿に上臥うえぶし (宿直) していたのである。
宿所を起き出て、いつもの朝のように、うが いをつかい、髪容かみかたち をととのえ、薄化粧などしていると、坪の先へ、
「少将様っ」
と、一人の雑色ぞうしき が、血相を変えて、へい つくばっているのを見た。急を、彼に知らせに来た大納言家の召使であった。
「なに、父の君が、西八条へ召され、縄目なわめ にかからせ給うたとか」
愕然がくぜん と、この少将も、顔色を失った。
「ああ、どうしたものか、身のおき場を・・・・父の身を」
父が捕われた以上、自分も一味のひとり、同罪とは、はやくも覚悟したものの、少将はまだ二十一。── どうしてよいかわからない。
この朝。
法皇には、すでに、大膳太夫信成のあかつき の奏上によって、事件を知っておいでになった。
やがて、御座ぎょざ の次に、少将の姿を御覧になって、
「今はさわ ぎうろたえても何かせん。── 静かに、ここ両三日の成り行きを見ようよ。おことも、ひそと隠れておれ」
と、おさと しになった。
その二、三日の法住寺殿は、まるで墓場のように、人声もなかった。
常々、かならず出仕する庁の諸生も登庁せず、近習、召次めしつぎ の人びとも、姿を見せない。
ただ、側仕えの女房たちの影が、わずかに、御簾ぎょれん のあたりや、廊の通いに、ふと見えるだけだった。
しかし、西光法師が斬られたことだの、また、小松殿が、大納言の命乞いに行かれたが、相国の肯くところとならなかった ── などといううわさは、たれが伝えるのか、いちいち敏感に院の奥へも響いて来る。
(大納言の君も、やがては ──)
と、たれもが思い、たれの眼も、その不吉を語っていた。
それもこの夕方か、明日には ── と人はささやく。
少将成経は、ついに、法皇のおん前へ、お暇乞いをしに出た。
「父が生けるうちに、ひと目、会い参らせたく思いまする。・・・・しょせんは、隠れおおせられる身でもありませぬゆえ」
「・・・・行くか」
と、のみ仰せられて、法皇にも、もうお止めになる御気力はなかった。
この少将は、美男であったし、年も二十一といううら若さに、局々つぼねつぼね の女房たちは、そのうしろ姿を、あわ れがって、袖を濡らさぬはなかったという。
あらかじめ、妻の父 ── 参議さんぎ 教盛のりもり の家へ、走り下部しもべ をやり、車を求めておいたので、教盛の方から、迎えが来ていた。
この少将は、清盛の弟、教盛のりもり息女むすめ を妻としていた。それも、つい二年ほど前に、結婚したばかりである。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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