ふしぎな人物だ。ひとたび、乱
になれば、衆生の無数な生命も財も、修羅の贄にえ
となるのは、知れきっている。それなのに二度まで乱を謀たくら
み、そして、いざ自分一個の危険となれば、その大望も、簡単にほうり捨ててしまう。命欲しさに、泣きもがく、見得も外聞もなく、未練そうに泣くのである。 (困ったお人ではある) 重盛も、そう思って、しげしげと、成親の女々めめ
しさへ、眼を落としたことではあろう。── けれど、切るに切れない縁者である。また人情、つい、身びいきにも惹ひ
かれ、あわれとも、見ずにいられなかった。 「ま・・・・お心を平たい
らかにおわせられい。父、相国へは、重盛からも、ただ今、お宥なだ
め申し上げておいた。よも、あなたのお命までは召されもすまい」 情じょう
は持っても、長くは居るに耐えない。重盛は、そう慰めて、板縁いたえん
へ出て来た。 すると、ここの番をして、中の壺に居た難波次郎と、瀬尾兼康の二人が、重盛の影を見て、はっと庭上にうずくまった。 重盛は、その二人を眼の隅から冷やかに見ながら、気づかない顔をして、 「さても今朝方、経遠
つねとお (難波次郎のこと)
とやら、兼康とやら申す者どもが、あの大納言の君へ、拷問 ごうもん
に及び、辛 つろ う当り奉りしとか、聞いたが、この重盛もあるものを、はばかりもなき奴輩やつばら
かな。情けを知らぬ田舎侍は、みな、こうぞ。返す返すも奇き
っ怪かい なれ」 と、唾つば
を吐くように言って去った。 ほかならぬ小松殿に、うらみがましく、そう言われたので、難波次郎も、瀬尾太郎兼康も、恐れわなないていたきりであった。 やがて重盛は、もとの中門廊から、車に乗った。 そのさいも、彼の帰館を見送りに立った筑後守貞能が、 「このような大事な時に、なぜ、常のおん供ばかりを召され、一人の軍兵も、警固にお連れなさいませぬか」 と、訊たず
ねたところ、重盛は、これにも、不機嫌な返辞をした。 「およそ、大事とは、天下のことをこそ言え、かような私事わたくしごと
の騒ぎが、なんの大事か」 兵仗へいじょう
を帯たい していた武士たちは、この一言にみな、立ちそぞろいて、重盛の牛車が遠く正門の外へ去るまで、声を出す者もなかったという。 何しても、小松殿という名は、清盛に次いで、恐れられていたものらしい。 いや、ある意味では、清盛以上かも知れなかった。清盛にはなお抜けているところもあり、ごま化し得る面もある。──
重盛には、そんな反面もすきもない。かりそめにも、愚者とは交響しあわない賢者けんじゃ
であった。 |