〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (五) ──
御 産 の 巻

2013/07/14 (日) 小 松 重 盛 (三)

ほど経て、重盛は、蓬の壺を退がって来た。
父へ諌言かんげん のため、病を冒してまで来たことに、彼は、幾らかの いはあったものとして、やや眉を晴らしていた。
すると、大廂おおびさし へ出る橋廊きょうろう のわきに、主馬判官しゅめのほうがん 盛国もりくに が、控えていて、
「はや、御退出で」
ろ、重盛の姿を見上げた。
「いや、大納言の君は、いずこに押し籠められておらるるや、父の相国にも今、み許しを得てまいったゆえ、それへ案内してくれい」
「成親卿へ、御対顔なされますか」
「うむ」
と、悩ましげに、うちうなずく。
盛国は、彼を遠くの下屋しもや へと、導きながら、小声で何かを訴えていた。目上に びる小人のささやきとは知っても、聞けば聞き腹である。重盛にもやはり感情はおおい得ない。
「そこなる雑部屋ぞうべや におわせられまする」
「・・・・ここの内か」
重盛は、暗然と立った。
見れば、障子 (ふすま) の出入りには、蜘蛛手くもで に板が打ちつけられ、まるで、獣の囲いである。
重盛は頬に涙を見せ、病人の感傷を交えた声音こわね で、
「盛国、囲いの板を ぎ取れ」
と、いいつけた。
盛国は、おそ れて、ためらい顔をした。
「大事ございますまいか」
「かまわぬ。重盛が、命じるのだ」
「はっ」
板が、剥ぎ取られると、重盛は自身で障子を引き開け、内へ入った。
成親は、その物音にさえも、顔をあげずに、うつ伏していたが、ふと、重盛と知って、
「おお。・・・・小松殿か」
と、彼のはかま のすそに、取りすがった。地獄に仏とばかり、にわかに、声を出して泣いた。
「どうなされましたぞ。そのお姿は」
「ああ、面目ない。── ありようは、すでに、お聞き及びであろうに」
「聞きました。聞いて、重盛も、じつは仰天して来たのです。── あなたとしたことがと」
「もう、仰せられな、いうてたも るまい。身を切られるようだ。・・・・すべては身のおろ かから招いたこと」
「では、御謀叛ごむほん とは」
「浅ましや、悪夢にとりつかれたのじゃ。法皇に仕え奉る身、法皇のみこころには、つい、そむき参らすこともならで・・・・」
と、言い訳をしかけたが、さすがに、それへ触れることには、すぐ自省して、
「さはいえ。── 平治のおりにも、すでにちゅう せられるところを小松殿のおんなさ けにて、首をつながれ、あまつさえ、正二位の大納言とまでのぼ りながら、年四十に余る身で、この不始末よ。たれをか、恨もうぞ。みな、わが身のいたらぬとが 。・・・・ただ、このうえのおすが りは、もう一度の命乞いを、大相国だいしょうこく に、おとりなしして給われい。つむり をまろめ、身を片山里に び、一すじに、後世ごせ 菩提ぼだい の勤めを一生として終わろうと思うほどに」
と、恋々れんれん たる生の執着を見せた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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