ほど経て、重盛は、蓬の壺を退がって来た。 父へ諌言
のため、病を冒してまで来たことに、彼は、幾らかの効か
いはあったものとして、やや眉を晴らしていた。 すると、大廂おおびさし
へ出る橋廊きょうろう のわきに、主馬判官しゅめのほうがん
盛国もりくに が、控えていて、 「はや、御退出で」 ろ、重盛の姿を見上げた。 「いや、大納言の君は、いずこに押し籠められておらるるや、父の相国にも今、み許しを得てまいったゆえ、それへ案内してくれい」 「成親卿へ、御対顔なされますか」 「うむ」 と、悩ましげに、うちうなずく。 盛国は、彼を遠くの下屋しもや
へと、導きながら、小声で何かを訴えていた。目上に媚こ
びる小人のささやきとは知っても、聞けば聞き腹である。重盛にもやはり感情はおおい得ない。 「そこなる雑部屋ぞうべや
におわせられまする」 「・・・・ここの内か」 重盛は、暗然と立った。 見れば、障子 (ふすま)
の出入りには、蜘蛛手くもで に板が打ちつけられ、まるで、獣の囲いである。 重盛は頬に涙を見せ、病人の感傷を交えた声音こわね
で、 「盛国、囲いの板を剥は
ぎ取れ」 と、いいつけた。 盛国は、惧おそ
れて、ためらい顔をした。 「大事ございますまいか」 「かまわぬ。重盛が、命じるのだ」 「はっ」 板が、剥ぎ取られると、重盛は自身で障子を引き開け、内へ入った。 成親は、その物音にさえも、顔をあげずに、うつ伏していたが、ふと、重盛と知って、 「おお。・・・・小松殿か」 と、彼の袴はかま
のすそに、取りすがった。地獄に仏とばかり、にわかに、声を出して泣いた。 「どうなされましたぞ。そのお姿は」 「ああ、面目ない。── ありようは、すでに、お聞き及びであろうに」 「聞きました。聞いて、重盛も、じつは仰天して来たのです。──
あなたとしたことがと」 「もう、仰せられな、いうて給たも
るまい。身を切られるようだ。・・・・すべては身の愚おろ
かから招いたこと」 「では、御謀叛ごむほん
とは」 「浅ましや、悪夢にとりつかれたのじゃ。法皇に仕え奉る身、法皇のみこころには、つい、そむき参らすこともならで・・・・」 と、言い訳をしかけたが、さすがに、それへ触れることには、すぐ自省して、 「さはいえ。──
平治のおりにも、すでに誅ちゅう
せられるところを小松殿のおん情なさ
けにて、首をつながれ、あまつさえ、正二位の大納言とまで上のぼ
りながら、年四十に余る身で、この不始末よ。たれをか、恨もうぞ。みな、わが身のいたらぬ科とが
。・・・・ただ、このうえのお縋すが
りは、もう一度の命乞いを、大相国だいしょうこく
に、おとりなしして給われい。頭つむり
をまろめ、身を片山里に侘わ び、一すじに、後世ごせ
菩提ぼだい の勤めを一生として終わろうと思うほどに」 と、恋々れんれん
たる生の執着を見せた。 |