また、彼の仏教的な信条からも、見過ごしには出来なかった。 「父君のお怒りは、重々、ごもっともには以っておりまする。──
が、あの大納言の親、中御門
家成殿は、故 刑部卿 (忠盛)
ともお親しく、祗園女御
と仰せられたお方の里親でもあり、また、父君が御幼年のうちは、その家成殿に養われたという御恩もありますとか」 「おたがい、親や祖父の代の、些々たる縁故を、今日の生々しい時局へ持ち出して、ものを言わせようとは、ちと無理だろう。茫々
、五十年も前の旧事 などを」 「いえ、和漢の前例に見ても、決して、逆子
の誅罰 のみが、平和を保つ所以ゆえん
ではありません。反逆の側にも、理はあるものです。内に乱逆を生じるというそれ自体に、政まつり
を為な す者の方にも、反省しなければならないものがありましょう」 「いや内府。お許のことば、すべて経書けいしょ
を読むようで、いちいち正しい。しかし、聖賢の言は、聖賢の世界では行われももしようが、凡俗の実世間とは、もっと、思いのほかなものだ。鹿しし
ヶ谷たに に集まった顔ぶれを見い。そこに寄り合った人間どもが欲しているのは何か。決して聖賢の理想などではあるまいが」 「個々に御覧ぜられたら、お腹もすえかねましょうが」 「いや、おれは憎む。西光といい、成親といい、その他、みな、平家の執政に付して、今日の地位を得た輩ではないか。しかるに、おれに会えばおれに媚こ
び、法皇のおん前にいては法皇に諂おもね
り、乱をたくらんで、身の程も知らぬ私欲を抱くとは」 「それらの人びとも、罪を悟り、すでに己の非を知れば、一瞬に、慙愧ざんき
しておりましょう。古語にも ── 刑ノ疑ハシキヲ軽ンゼヨ。功ノ疑ハシキハ重ンズベシ ── とか見えて候う。祖父の善悪は、子孫に及び、積善せきぜん
の門には余慶よけい ありとか、ここは、御堪忍と、寛大な御処置とを」 清盛は、顔を斜めに、そむけた。 火は火のままに、水は水のままのような、父子の沈黙が、つづいた。 けれど、遂には、清盛の方が、根負こんま
けして、ふっと、息を吐いて言った。 「こういう煩わずら
いが、体には何より悪い。おれにすら、こたえる。お許は館へもどって、身の養生を努め、静かに、事の成り行きを見ていてくれい。清盛とて、一門の親ばしら、また老齢、何条、いったんの怒りに任せて、事を計らおうや。・・・・余りには案じるなよ、内府」 |