〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (五) ──
御 産 の 巻

2013/07/13 (土) 小 松 重 盛 (一)

「内府。このごろは病も、いくらかは、よい方かの」
父子、伴いおうて、蓬壺ほうこ の一室へ通って行き、そして清盛はすわるやいな、すぐたず ねた。
見るからに、小松内府重盛の顔色は、よくないのだ。 「・・・・悪いな」 と、実は案じつつ言う親心なのである。
謹厳な重盛は、父の に対しても、容儀をくずづことなく、心もち頭を下げて、
「はい、昨今は、やや物も食べておりますゆえ、病み すほどには」
と、静かな眸に、さびしげな微笑をたたえた。
病名はさらに分からないが、長年の食欲不振に、彼のもともと貴人風な人柄は、よけいに、俗臭を去り、脱脂されて、前姿に冷たい玲瓏れいろう さをもっている。
「ときに父君。大納言殿には、どこにおられましょうか」
「成親か・・・・」
清盛の方は、あきらかに、顔色も変え、どこか落着きを欠いていた。たとえば、重盛の姿が水なら、清盛は、燃えつつ刻々に、心の火色を動かしている坩堝るつぼ に見える。
「── そうです。成親卿は、いずこのおられましょうか。これへ、お呼び給わりませ」
「いや。呼ぶわけにはゆかぬ」
「なにゆえでございます」
「うわさにも聞きつろう。平家をくつがえさんとした謀叛人むほんにん 。かたく糾明きゅうめい を申しつけてある」
「では、かの人をここへ召して懺悔ざんげ させ、重盛もともに、おん前でお びいたしても」
「迷惑だな。懺悔の、詫びのと、そんな扱いですむ事態とは、事ちがう」
「が、父君」
重盛の唇もかわ いている。その唇が濡れるのを抑えて、清盛はここで、持ち前の大声をついに出してしまった。
「まて、内府っ。── このたびは、もう、差し出口は、せんでくれい。平治のおりのような、つまらぬ差し出口はよ」
「・・・・・・・」
重盛の烏帽子が折れるようにうつ向いた。
一言もない姿である。もし平治の乱の時に、父に対し、自分が成親の命乞いをしていなければ、きょうの騒動はなかったのだ。それは慙愧ざんき と、悔いに値する。父の赫怒かくど は無理もないと思う。
── が、さればとて、重盛には妻の兄に当たり、子の維盛これもり には伯父に当る成親が首斬られるのを、よそに見ているわけにはゆかない。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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