〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (五) ──
御 産 の 巻

2013/07/11 (木) 西さい こう ら れ (四)

夕べから、小雨となった。
獄屋の辺や、武者溜むしゃだま りは、夜通しいやな物音が絶えなかった。── なお続々と、謀叛むほん の一類が、引かれて来ては押し められたものとみえる。
そして、六月二日の朝は、霧のような雨気のまま明け、夏とは思えないほど、妙に、じめじめと肌寒い。
「ここか、大納言を捕り めておいたかこ いは」
いま、板敷を高らかに踏み鳴らして来た清盛は、下屋角しもやすみ の、粗末な一室の前に立って、うしろを見た。
「はっ。さようにござりまする」
うしろには、難波次郎、瀬尾兼康などが、ひざまずいている。
素絹そけん小袖こそで に、白の大口袴をはき、刀を帯び、太刀は侍童に持たせて、
「次郎。そこを、開けい」
と、言った。
内に、明りださしこみ、新大納言成親の姿が、ほの暗い室の隅に、狩衣をかず いて、わなないているのが見えた。
清盛は、じっと、にら まえたまま、成親 ── と幾度か呼んだ。
「・・・・・」
答えもない、頭も上げない。
清盛は、苦々しげにののしった。
「世に、恩を知らぬを畜生というとかや。そもそも、御辺は人か獣か。──平治の乱には、信頼のぶより と徒党して、宮閥きゅうけつ を犯し、また、天皇、上皇を幽閉し奉り、この清盛をも討たんとして、かえって、六波羅の捕虜とりこ とはなりつらん。── そのとき、すでにその首はなかったはずよの」
「・・・・・」
「よも、忘れはいたすまい。命を助け給われと、泣きわめいたの時のおのれが姿を」
「・・・・・」
清盛は、御辺を斬らんずるものとし、すでに、御辺は河原の露と化すべかりしを、あの小松内府 (重盛) が、たって、命乞いをなすがまま、ついに心を曲げて、その首を生け いでおいたものぞや。── 思えば、若年の重盛が言葉などに動かされて、御辺のごとき、性懲しょうこ りもなき人非人を、生かしておいたのがわがあやま りでもあった・・・・」
「・・・・・」
「しかも、その後とて、妹を重盛の妻とし、子にも、教盛のりもり のむすめを娶合めあ わすなど、一族同様に、心のぬくみも通わせ、地位も、大納言とまで のぼ りながら、そも、なんの不足あって、なお、清盛をうらみ、平家の内より平家をかたぶ けんとはたくら みたるか」
「・・・・・」
「成親っ。なぜ、つら を見せぬ。日ごろの存念を、直々じきじき にうけたまわろう。ものを申せ、成親」
「相国っ・・・・」 成親は、顔を上げて、またすぐ顔を伏せ、聞き取れないほどな乱れ声を、体から振りしぼった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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