夕べから、小雨となった。 獄屋の辺や、武者溜
りは、夜通しいやな物音が絶えなかった。── なお続々と、謀叛むほん
の一類が、引かれて来ては押し籠こ
められたものとみえる。 そして、六月二日の朝は、霧のような雨気のまま明け、夏とは思えないほど、妙に、じめじめと肌寒い。 「ここか、大納言を捕り籠こ
めておいた囲かこ いは」 いま、板敷を高らかに踏み鳴らして来た清盛は、下屋角しもやすみ
の、粗末な一室の前に立って、うしろを見た。 「はっ。さようにござりまする」 うしろには、難波次郎、瀬尾兼康などが、ひざまずいている。 素絹そけん
の小袖こそで に、白の大口袴をはき、刀を帯び、太刀は侍童に持たせて、 「次郎。そこを、開けい」 と、言った。 内に、明りださしこみ、新大納言成親の姿が、ほの暗い室の隅に、狩衣を揉も
み被かず いて、わなないているのが見えた。 清盛は、じっと、睨にら
まえたまま、成親 ── と幾度か呼んだ。 「・・・・・」 答えもない、頭も上げない。 清盛は、苦々しげにののしった。 「世に、恩を知らぬを畜生というとかや。そもそも、御辺は人か獣か。──平治の乱には、信頼のぶより
と徒党して、宮閥きゅうけつ を犯し、また、天皇、上皇を幽閉し奉り、この清盛をも討たんとして、かえって、六波羅の捕虜とりこ
とはなりつらん。── そのとき、すでにその首はなかったはずよの」 「・・・・・」 「よも、忘れはいたすまい。命を助け給われと、泣きわめいたの時のおのれが姿を」
「・・・・・」 清盛は、御辺を斬らんずるものとし、すでに、御辺は河原の露と化すべかりしを、あの小松内府 (重盛) が、たって、命乞いをなすがまま、ついに心を曲げて、その首を生け継つ
いでおいたものぞや。── 思えば、若年の重盛が言葉などに動かされて、御辺のごとき、性懲しょうこ
りもなき人非人を、生かしておいたのがわが過あやま
りでもあった・・・・」 「・・・・・」 「しかも、その後とて、妹を重盛の妻とし、子にも、教盛のりもり
のむすめを娶合めあ わすなど、一族同様に、心のぬくみも通わせ、地位も、大納言とまで経へ
上のぼ りながら、そも、なんの不足あって、なお、清盛をうらみ、平家の内より平家を傾かたぶ
けんとは謀たくら みたるか」 「・・・・・」 「成親っ。なぜ、面つら
を見せぬ。日ごろの存念を、直々じきじき
にうけたまわろう。ものを申せ、成親」 「相国っ・・・・」 成親は、顔を上げて、またすぐ顔を伏せ、聞き取れないほどな乱れ声を、体から振りしぼった。 |