〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (五) ──
御 産 の 巻

2013/07/10 (水) 西さい こう ら れ (三)

「しゃつ! 見るも、腹立たしさよ」
清盛は、こういう顔に出会うと、たま らなく、むかついて来るらしい。
憎悪に憎悪の輪をかけて言った。
「世に不平の徒は絶えぬものを。おのれ、なんの大義があって、人を語らい、所もあろうに、仙洞を陰謀のいわあな とし、君のおん名をかざして、平家を亡ぼさんと計りしぞ。
そもそも、おのれの如きは、少納言信西が下臈げろう たりしを、君の召し使わせ給うて、なされまじき官職にも挙げたまい、父子ともに、過分な恩寵おんちょう に恵まれたるをよいことにし、先には、子の加賀守かがのかみ 師高もろたか師経もろつね不埒ふらち より、山門の大衆を怒らせ、また先ごろあは、とが もなき明雲座主を流罪になすなど、みななんじの讒言ざんげん なりと、人の申すわ。・・・・あまつさえ、清盛を討って、おのれ平家に代らんなどとは、八ツ裂きにしても き足りぬやつ、世をみだす奸臣かんしん とは、おのれのような者をば言うぞ」
こうののしるうちに、清盛の面も朱になって、ひたいから頬へ、汗がしたたり流れていた。
見よや、おのれのざまを。身のほど知らぬ野望の果てを、わが身の姿に見たがいい、いまはにがれぬところぞ。そも、いかなる手順で、そして一味の面々とは、たれとたれか。泥を吐け。一切を白状せよ、西光」
すると、西光は、後ろ手にくく られている体を、むりに反り身に居直って、蒼白あおじろ くあざ笑った。
「白状せよなどは片腹痛い。西光にも、西光の意思、口があんなれ。言いたくば言う。言いたくなくば言わぬ。やは、人のさしずに待とうや」
「おう、じかれ者の広言、おもしろい、 ざいてみよ、意志のままに」
「法皇の御心みこころ は知らず、院の別当成親卿が、計り給う議に、くみ さずとは、いえもせぬ、たしかに、それにはくみ したり」
「首謀は、なんじと成親よな」
「いや、たれでもない。首謀は、自然の理だ。平家の専横を憎み、一門栄花のおご りをのろう諸人もろびと の怒りこそ首謀よ。── この西光を、世を乱す者といわれたが、歴朝の功臣を追いしりぞけ、藤氏とうしけん を奪って、おのれが一族をもって、廟堂びょうどう を埋め、天下の領田りょうでん を、あらましわたくし の物として、法皇もあって、あらせられぬ如きおご りと、政事まつりごと とを、ほしいままにしている人間はたれだ」
「この下司げす めが、いいもいうわ、身、相国の位置にあって、まつり にかかわるのが、なんのふしぎ、専横とは、何を指して申すか。おご りとは何、総じて、それらの誹謗ひぼう は、なんじらごとき下司根性の者のひがみよ。下司論議でなく、おおらかに、もののじつ をあげて申せ」
「やあ、ふた言めには、ひとを下司げす 呼ばわりするが、そもそも御辺は、何者だ」
「何をと」
「忘れもしつらん、そのむかしは、スガ目の伊勢殿とて、貧乏随一の 刑部ぎょうぶ 忠盛ただもり の小せがれではなかったか。── 都の片隅に住みながら、生活たつき には稗粟ひえあわ だに買えず、病には、薬のしろ にも事欠いた伊勢の平太ではあったろうに。・・・・かつは、殿上てんじょう の交わりをだに人に嫌われた者の子が ── なんと、今は太政大臣をも経て、六波羅には兵馬をつなぎ、西八条には、一門万朶ばんだ の栄花を競い、福原に、厳島に、この世をわが物顔と住むばかりか、大輪田の築港などに、おびただしい国費を私に使うなど、なべて、院の御本意にもあるまじ」
「だまれっ。やっこ
清盛は、体じゅうを、火にして怒鳴った。
「何条、清盛の志を、なんじらが知ろうや。法皇のみゆりしもなく、国費をみだ りにしたなどとは、奇っ怪な作り沙汰。そういう根もない捏造ねつぞう を言いふらして、不平のともがら を語ろうたのが、成親であろう。また、汝であろうが」
「それ、怒らるるは、即ち身に覚えがあればこそよ。この西光が下司か、御辺が下司か。また、西光が奸臣か、入道相国が、乱臣賊子か。良心は、あざむけまい。・・・・あははははは。せみ も木でわら っているわ」
「世には口達者な下法師げほうし もあるものかな。── 重俊しげとし っ、重俊」
と、一方で呼びたてながらも、清盛は、彼の余りな毒舌と、不敵さに、気押けお された気味で、ぼつ然と、庭さきを めつけていた。
が、重俊の姿が、縁近くに、こひざをついて、自分を見上げているのに気づき、
「こやつが命、めったには取るな。獄へ下げて、なお、よくよく糺問きゅうもん を重ねた後、仔細しさい に、口書をしる し上げ、後、河原へ引き出して、そっ首をはねろ」
と、いいつけた。
こうして、西光法師は、ことに厳しい痛め問い (拷問) にあわされた。
彼の自白は、白状書き四、五枚にしる され、その夕べ、五条西の朱雀へ、引き出された。
そして、人も蚊もわんわん寄りたかる黄昏たそが れを辻篝つじかが りの赤々と燃えハゼる地面にひき据えられ、松浦まつらの 太郎たろう が刃の下に、いとも っ気なく、首を打ち落とされた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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