西光法師の宿には、まだ手がまわっていなかった。 外の騒々しさに、 「何事かよ」
と、家人 を見せにやって、その返辞を聞くと、 「ひと事かは。わが身の上も」 と、まっ蒼さお
になって、うろたえた。 もともとこの男は、むかし少納言信西しんぜい
の朗従勤めをしていたこともあって、ただの法師公卿とはちがい、どこか胆太きもぶと
いところがあった。 「事こと
露見ろけん のうえは、よも、辻のかために、抜かりはあるまい。いっそ、身をすててこそよ」 きっと、肚はら
をすえたものらしい。法住寺殿ほうじゅうじでん
の、院の御所へ駆け込もう。法皇のお袖の蔭に隠れ込むこそ、最上ののがれ場所とばかり、やにわに、馬を引き出して、ムチを打って、七条和口をさして、駆け出した。 すると、その途中で、一隊の六波羅の兵馬と、運悪く、出会ってしまった。 「や、や、南無三」 道を変えようとする間もなかった。わらわらと前後へ駆けて来た武者たちは、 「ござんなれ、西光」 と武士は、駒こま
のあぶみ、口輪を、抑えてしまった。 「おりもよし、西八条殿より召さるるによって、迎えに来た途中ぞ。いで、参られよ」 「やあ、しうは、ならん」 ──
西光は、馬上から虚勢を示し、 「これはただ今、奏そう
すべき公用のあって、院の御所へ急ぎまかる道なるぞ。── 西八条殿へは、後刻に参らめ」 「ばかを申せ。そのような悠著なお召しではないわ」 「下臈げろう
の身をもって、何をいう。院へ奏そう
し参らすべき急用を阻むなど、不敬であろうぞ」 「にくい公卿坊主めが、この騒ぎを、眼に見てから、何を奏するつもりか。── えい、面倒な」 あぶみを、つかんで、いきなり馬上の西k光を、駒の向こう側へ、ひっくり転かえ
した。 「それっ、縛しば
り上げて、もう一度、馬の背へ積み直せ」 土ほこりと、牛の糞を、体中にまぶされたまま、西光は、がんじがらめにされ、やがてこれも西八条へ、追い立てられた。 「西光こそは、事の元凶なれ、自身、口を開かせてくりょうず。坪の内へひきすえい」 清盛は、この騒ぎの中に一睡し、昼寝の寝起きに、水飯すいはん
を食べ、余りの暑さに、鎧よろい
も脱ぎ胴巻だけの大口袴おおぐちばかま
にかえていたところだった。 ずかと、大床に出て来て、 「おのれよな、西光とは」 と、にらみつけた。 西光もまた、眸め
を研と いで、にらみ返した。 大廂おおひさし
の陽かげが、彼のひざを、斜めに翳かげ
らせ、頭と肩さきだけに、かんかんと陽が照り付けていた。 頭の毛穴は汗を吹き、ほこりが滲み、不出来な梨なし
の肌みたいである。こめかみには、この男の世才を現す青筋を太く見せ、中高な鼻ばしらも、何か戦闘的で、大きな口のゆがみとともに、不敵なせせら笑いをすら描いている。
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