〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (五) ──
御 産 の 巻

2013/07/09 (火) 西さい こう ら れ (一)

新大納言成親の館は、中御門なかみかど 烏丸からすまる にある。
ずかずかと三、四人の武者と雑色ぞうしき が、そこの前栽ぜんざい へ通って行き、
家司けいし へお会い申したい」
と、事もなげに訪れた。そして応接に出た老臣へ、公式的に、言い入れた。
「早朝に候うが、新大納言の君を、迎え参らせよとの、相国のおことばにより、西八条より参って候う。── 何やらん、大納言の君へ、御内談の儀あるやの仰せにて」
成親は、ちょうど、たい の一室で、北の方や子たちと、朝餉あさげ を終えたところであった。
「事にわかに、なんのお召しでございましょう。── 相国は福原においでのことと伺っておりましたのに」
「何も、心配なことではあるまい」
「そうでしょうか。でも、こんな早朝にお迎えとは」
「たぶん、院の叡山攻めと聞かれて、御仲裁に上洛のぼ られたのではあるまいか。法皇のおん憤りとは、どの程度ぞと、麿まろ に、御相談のお胸でもあろ」
妻への気休めではなく、成親は、心からそう解釈していたらしい。── わが身の上とはつゆ知らず、なよやかな清げな狩衣かりぎぬ を着、車副くるまぞい の侍から雑色や牛飼まどまで、常より身ぎれいによそ わせ、やがて、朝のちまたの人目をひいて出て行った。
ところが、西八条へ近づくと。辻々には、軍兵のたむろ が見えるし、第館の内外は、兵馬に埋まっている。 「これは・・・・?」 と成親は、急に胸さわぎを覚え出したが、もう遅い。車は、中門口へ引き入れられ、きわ らしい武者ばら が、大勢して、
「大納言どの、車を出られい」
「何の猶予ぞ、くつ などはいらぬ、早く、降り候え」
口々にたけ びながら、成親の手くびや、袖をとらえて、引きずり降ろした。
そして、中門廊の の蔭へ向かって、
「仰せにより、大納言どのが身は、これへ引っ立てましたが、いまし めは、いかがいたしましょうや」
と、用意の荒縄あらなわ を示しながらたずねた。
清盛の姿が、その簾中に透いて見えた。彼は、ただ一言、
「いな、あるびょうもなし」
と、言い捨てて、奥へかくれてしまった。
あるびょうもなし ── とは 「そうしなくてもよい」 という意味である。武者の群れは、十重とえ 二十重はたえ に、成親をとり囲んで、母屋から遠い粗末な一間へ、押しこめてしまった。
成親はなお、丁重に扱われた方である。
この日は、むし暑く、初夏の陽が、高くなるにつれ、後から後からと、捕われて来る “鹿ヶ谷連座” の巨頭たちが、ひきもきらない。そして、その一名一名に、何百という軍兵が付いて来るので、さしも広やかな西八条の内も、ごった返して、汗のにおいと、喧騒けんそう のあいだに捕われ人の扱いなども、勢い、手荒に片づけられた。
中には、どうしたのか、牛鞍うしぐらくく られて、運ばれて来たのもあり、途々も、さら しもの同様、裸足で追っ立てられて来た者もある。── 近江中将入道蓮浄をはじめとして、法勝寺の俊寛、山城守基兼、式部大輔正綱、平判官康頼、新平判官資行などの顔ぶれが、ひる まえにあげられた模様であり、あとまだ、どれほど召し捕られて来るのかわからない。

── 京中騒動、上下トモ畏怖ヲナス。コノ間、諸説縦横ニシテ、実説ヲ取リ難シ。
とは、この朝の人心をじょ した公卿日記の一章である。
それによると、 “武士洛中ニ充満、禁裡ニモ雲集シ、タダ院中ノミ寂漠 ──” とあるから、清盛はすでに、あの人がらのおとなしい弟の経盛をして、平常のように、内裏への出仕をすすめて返す前に、皇居の守護には、べつに充分な手配を行っていたものとみえる。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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