新大納言成親の館は、中御門
烏丸からすまる にある。 ずかずかと三、四人の武者と雑色ぞうしき
が、そこの前栽ぜんざい へ通って行き、 「家司けいし
へお会い申したい」 と、事もなげに訪れた。そして応接に出た老臣へ、公式的に、言い入れた。 「早朝に候うが、新大納言の君を、迎え参らせよとの、相国のおことばにより、西八条より参って候う。──
何やらん、大納言の君へ、御内談の儀あるやの仰せにて」 成親は、ちょうど、対たい
ノ屋や の一室で、北の方や子たちと、朝餉あさげ
を終えたところであった。 「事にわかに、なんのお召しでございましょう。── 相国は福原においでのことと伺っておりましたのに」 「何も、心配なことではあるまい」 「そうでしょうか。でも、こんな早朝にお迎えとは」 「たぶん、院の叡山攻めと聞かれて、御仲裁に上洛のぼ
られたのではあるまいか。法皇のおん憤りとは、どの程度ぞと、麿まろ
に、御相談のお胸でもあろ」 妻への気休めではなく、成親は、心からそう解釈していたらしい。── わが身の上とはつゆ知らず、なよやかな清げな狩衣かりぎぬ
を着、車副くるまぞい の侍から雑色や牛飼まどまで、常より身ぎれいに装よそ
わせ、やがて、朝のちまたの人目をひいて出て行った。 ところが、西八条へ近づくと。辻々には、軍兵の屯たむろ
が見えるし、第館の内外は、兵馬に埋まっている。 「これは・・・・?」 と成親は、急に胸さわぎを覚え出したが、もう遅い。車は、中門口へ引き入れられ、恐きわ
らしい武者輩ばら が、大勢して、 「大納言どの、車を出られい」 「何の猶予ぞ、沓くつ
などはいらぬ、早く、降り候え」 口々に猛たけ
びながら、成親の手くびや、袖をとらえて、引きずり降ろした。 そして、中門廊の簾す
の蔭へ向かって、 「仰せにより、大納言どのが身は、これへ引っ立てましたが、縛いまし
めは、いかがいたしましょうや」 と、用意の荒縄あらなわ
を示しながらたずねた。 清盛の姿が、その簾中に透いて見えた。彼は、ただ一言、 「いな、あるびょうもなし」 と、言い捨てて、奥へかくれてしまった。 あるびょうもなし
── とは 「そうしなくてもよい」 という意味である。武者の群れは、十重とえ
二十重はたえ に、成親をとり囲んで、母屋から遠い粗末な一間へ、押しこめてしまった。 成親はなお、丁重に扱われた方である。 この日は、むし暑く、初夏の陽が、高くなるにつれ、後から後からと、捕われて来る
“鹿ヶ谷連座” の巨頭たちが、ひきもきらない。そして、その一名一名に、何百という軍兵が付いて来るので、さしも広やかな西八条の内も、ごった返して、汗のにおいと、喧騒けんそう
のあいだに捕われ人の扱いなども、勢い、手荒に片づけられた。 中には、どうしたのか、牛鞍うしぐら
に縛くく られて、運ばれて来たのもあり、途々も、曝さら
しもの同様、裸足で追っ立てられて来た者もある。── 近江中将入道蓮浄をはじめとして、法勝寺の俊寛、山城守基兼、式部大輔正綱、平判官康頼、新平判官資行などの顔ぶれが、午ひる
まえにあげられた模様であり、あとまだ、どれほど召し捕られて来るのかわからない。 |