あたりは、武者たちの高声や、駆ける跫音に変って来た。なんとも、ゆゆしい騒音である。行綱は、うろうろした。──
これほどな骨を折って、命がけの返り忠を示して、一顧もされず、一片の賞も約束されないで返るのは ── と、不満でならないのだ。といって、中門廊にすわったままでもいられない。 大野に火を放ったような
── 小人 の心理が彼をくるんだ。自分のつけた火に巻かれはじめたのである。そこにはいられずに、侍門の方へ出て来た。と、横あいから、おそろしい勢いで、武者たちが、馬を引っ張り出して来たのである。鋭敏な馬の悍気かんき
は、人間の悍気を移して、ひどくはね狂った。 「あぶない。気をつけろ」 面つら
をふくらして、行綱がひとりへ怒鳴った。すると、ムチを口にくわえ、あぶみから、ひらと、鞍くら
をまたいで、腰をすえた一武者が、 「まだいたか、物欲しげな物売りめが」 ムチを振るって、行綱の肩をなぐりつけた。 「やっ、何をする。打ったるは、筑後よな。──
平家のためと、危急を告げに来たこの行綱を」 「者ども、その物売りを、つまみ出せ」 武者たちは、気が立っている。行綱を袋叩きにして、平門から外へ、ほうり出した。 その上を、馬が跳んだ。身を起こすと、三騎、五騎と、また駆け出して来た。──
行綱は、命からがら、小路こうじ
の横へ逃げこんだ。 夕へかけて、雪ノ御所へは、数知れぬ兵馬が雲集した。しかし、一訴人の言葉をまに受けて、直ちに行動に出るには、事は余りにも重大である。──
いわんや、その対象が、かりそめにも、時の法皇というおん名に対しては。 「まず、こよいはおいて、しかと、実否を確かめたうえでも」 と、三男の宗盛も言い、他の一族も言う。 は、清盛はすでに、具足を鎧よろ
い、その一刻すらが、待てない容子であった。 みじかい夏の夜は明け、清盛は、ともあれと、一睡をとった。彼の健康も、六十を意識してからは、決して人並み以上なものではなかった。 西八条の留守から、急使が来たのは、その日の午ひる
ごろだった。かねて、法住寺殿の動静には、油断のないようにと、六波羅の庁にも、いいつけてある。その方面からの報らせだった。法皇御風気と聞こえながら、いぶかしい事々のみ多いうちにも、二十六、七日の両日など、ことに不審な動きがうかがわれたというのである。 「さもこそ。夜をかけても、上洛せん」 清盛は、起こった。 雪ノ御所からゆるぎ出した兵馬は、数千騎とも見えた。海上を経、淀よど
をさかのぼれば、時間は早いが、舟行はとてもむずかしい。 陸路を都へ、急ぎ急いで、二十九日の未明、まだ暗いうちに、西八条の邸へ着いたのであった。 |