「・・・・。蔵人の行綱とは、御辺か」 「相国でいらせられますか」 「余事はおこう、ただ事ならぬ仙洞のおん謀
みとは、何か」 「・・・・じつは」 「御辺は、喉のど
を渇かわ かせておるな」 「昨夜は、馬上、鹿ヶ谷からこれまで、夜を通して、馳せ参りましたが故」 「なぜ、粥かゆ
でも食うて、ゆるりと来ぬ。──が、まあ先に聞こう。貞能、この男に、水をやれい、水でも飲んで、よく落ち着いて、物な申せ」 しかし、事実は、清盛の胸の方が、水を飲みたいほど、煮えくり返っていた。 貞能から水をもらって、飲み干すと、行綱は、やっと落ち着いた容子だった。入道相国という人間にふれないうちの畏怖も手伝っていたらしい。ようやく、眸ひとみ
も、清盛を見た。 「すでに、院中の密謀は、昨日今日の儀ではありませぬが ──」 そう、前提して、行綱は、自分の知る限りの秘密を、そこで、吐いた。 じっと、何かに耐えているように、それを聞いている清盛は、一塊いっかい
の巌いわお にも似ていた。外を打つ波ではなく、内に打ち返す波に耐えている巌だった。 しかし、眸の水晶体には、くわっと、あきらかに、激血が燃え、それが極まると、湯のような涙となった。行綱が、気づいて、はっと、口ごもると、 「なに、なに。ものは明らかに申せ。いい濁さずに、はっきり言え」 すでに、語気にも、焦いら
だちを現し、そしていつの間にか、清盛の満面、血の色を退いて、ただ眼瞼まぶた
から、こめかみに、青味がみえるだけだった。 「行綱。それに、相違ないな」 「相違ございませぬ」 「鹿ヶ谷へ寄り合うた輩やから
の名を、もういちど申せ。── 筑後、それにて、書きとどめろ」 ようやく、呼吸は、肩もとにしていた。齢よわい
、六十である。余りな感情の波には、さすが、平然とはいられないらしい。 念のため、もう一度、訊き
くが、御軍勢のお催しは、たしかに、山門攻めではないのだな。── 先ごろ、明雲座主への御処置に山法師どもが、反逆をなしたと聞くが、それに対しての山攻めではないのか」 「ちがいまする。・・・・まったく、それは、擬勢ぎせい
にすぎませぬ」 「擬勢とな」 「あらぬ方へ、人目を避けさせ、その虚きょ
に、六波羅、西八条へ襲よ せんという、御詭計ごきけい
にござりまする」 「よしっ」 たれへともなく、清盛は言った。いや、吼ほ
えたと言った方がふさわしい。 まさに、虎眉こび
は、風を思っているふうだった。ぎらと、筑後貞能の方を見、 「どうして、京中には、この清盛を憎み給うおん方をあやなして、平家を傾かたむ
けんとする輩やから が、いつのまにか、充ち満ちてこそあんなれ。いつかは、きっと、性懲しょうこ
りのつくよう、痛き目にあわせんと思うていたおりにもあるぞや。── 筑後、侍どもへの、触れをいそげ」 「やっ。お軍勢を」 「いうまでもない。──
いま、福原に在あ る一族は」 「右大将宗盛卿」 「うむ、宗盛に早沙汰立てい。次いでは」 「三位中将知盛卿。頭中将とうのちゅうじょう
重衡しげひら 卿。── 左馬頭行盛殿もおられましょうか」 「頼盛は」 「池殿には、都でいらせられまする」 「いないか」 何か別な感情が、彼の頭をふとかすめたが、 「すぐ、みなに、集まれと触れい。──
その間にも、上洛の用意を急げや。福原のあとには、人なくともよいぞ。清盛が前後に陣をなして、こぞって、おれの供をして来い」 清盛は、それきり行綱へ眼もくれなかった。彼の姿は、荒い跫音あしおと
とともに、奥へかくれてしまい、なお、雪ノ御所の坪々や殿裡でんり
を震ふるrt> い揺るがすような声だけが、遠くに聞こえた。
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