〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (五) ──
御 産 の 巻

2013/07/06 (土) 大 野 の け (一)

二十七日のひる 近くである。
清盛は、福原の雪ノ御所にいた。
つねの如く、多くの家臣に侍座され、大宰府から来た原田直方の報告を聞いていた。
── 近く大輪田の港に入る宋船に、宋政府の役人が乗っている。べつに、国交上の公使ではないが、日本の実情を たいという。それを、許したものかどうか、また、歓待をどうするか、などの協議らしい。
そこへ、侍所さむらいどころ のいつもの取次と違って、筑後守貞能さだよし が、自身で、
「はばかりあるおりとは存じますが、ちと、にわかにお耳へ達したい儀がありますが」
と、広縁の端から、わざと、内へは入らずに、遠くから、取次いだ。
「おれにか」
清盛がこう言ったのも、わざとである。その間に、筑後の眼を、読んでいる。
筑後守貞能さだよし は、清盛が若年のとき、「じじ、じじ」 と呼んで甘えたあの木工助もくのすけ 家貞の息子である。今では、その貞能がもうじじの年にもなりかけていた。じじへの、恩返しのつもりで、また、よい侍でもあったので、筑後守を襲わせ、侍頭として、重用していた。いわば、父子二代の、清盛の腹心だった。
「── 何事ぞ、筑後」
清盛は席を捨てて、みずから、ほかの室へ移って来た。
貞能は、身も、声も低めた。
「多田の庄の蔵人行綱と申す者。ただ今、早馬打って、一大事を訴え出でてまいりました」
行綱とは、大和源氏の、あれか」
「はい、摂津守が子」
「それが、何を申し入れて来たと」
「都における御謀叛ごむほん を」
「御謀叛とは。・・・・はて、御謀叛というからには、仙洞せんとう のおん動きをさしまいらすか」
はっ。── 行綱の証言によりますれば」
言いにくそうに、筑後は言った。ひたい に、汗がにじみ出ている。
清盛の容子ようす もすぐ変った。感情はつよいが、日常、めったにどう じる彼ではない。が、後白河法皇のおんことちえば、喜びにも、怒りにも、すぐ、こう現れるのが不思議なほどだった。── 何か、大きな圧迫を、言葉をかえて言えば、恐るべき強敵にもつ畏怖感いふかん を、つねに法皇に抱いている彼らしく見える。
「筑後」
「は」
「そちは、行綱を、よくただ したのか」
「いえ、深くは、問いもしませぬ。また、申しもいたしませぬ。── 余りに、そら恐ろしき秘事なれば、ただ直々じきじき にと」
「よし、庭へひけい」
「ここのお坪へ」
「いや、ここはまずい。おれから、中門廊の広床へ出よう。外の遠くを、武者どもにかこませ、調べのすむまで、何者も近づけるな」
いちど、清盛は、もとの座へ返った。そして、まもなく、中門廊を通り、行綱を待たせておいた広床へ姿を見せた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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