「や、や、これは」 「なんぞ、ふく物を」 「いや、懐紙など、あてよ」 流れる酒に、ひざ退き合うて、人びとが言い騒ぐと、法皇には、ふと、不吉な予感を抱かれたらしく、 「大納言、あれは、いかに」 と、お問いになった。 すると、成親は、 「さん候う。──
平氏がたおれました」 と、言い澄ました。 当意即妙である。彼の気の利いた答え方に、満座の人びとは、手を打ち、ひざをたたいて、 「おう、申されたり、申されたり」 「こよい、平氏たおれ候いぬ」 と、一せいにはやした。 法皇も、すっかり、み気色を直して、 「みなよ、猿楽
つかまつれ」 と、仰せ出された。 即興的な笑劇、即意と機智を旨とする歌謡劇、それが、宮中の猿楽さるがく
である、散楽さんがくく ともいう。 平判官康頼が、つと、舞って、 「ああ、余りに、平氏の多くて候えば、酔うて候う、悪酔うて候うぞや」 と謡うた
えば、それに謡い連れて、俊寛僧都も立ちあがり、おかしな身ぶりで、舞に舞った。 「なんの、これしきの、平氏に酔おうぞ。など、これしきの」 「ならばとて、いかにせん。この眩めくるめ
きを」 「おおさ、なお、呑みたらぬことにやあらん。── 呑まばや、平氏までを」 「酒は呑うだが、なお、平氏は減らぬげな。平氏を、呑むとは」 すると、西光法師が、またその笑劇の中へ、加わって、 「呑むの、呑めぬのと、笑止な酔え
い人かな。平氏は、打ちょう と、ただ首を取るには如し
かじ」 と、瓶子へいじ
の鶴首つるくび を、太鼓の撥ばち
みたいな物で、ちょんと、たたき落とした。 笑劇には、おおむねこんなオチがつく。満座の拍手喝采はくしゅかっさい
となる。即席の俳優は、道化身ぶりで席へ返り、左右の杯攻めに、面目をほどこしたみたいな心地に酔う。 遊戯のこと、闘争のこと、なぜか今も昔も、人間の業は、たいして違っていない。 余談にわたるが。 京都鹿ヶ谷町の現存の地は、別名を
「談合谷」 とも呼ばれている。もし、この夜が、後白河と清盛との、融和ゆうわ
への談合であったなら、そして、側近たちも、私心なく、平和への談合を遂げていたなら、以後の地上の様相は、まるで変わっていたであろう。少なくとも、新大納言の非業な死や、また、俊寛などが、名も知れぬ鬼界きかい
ヶ島しま などを、見ることはなかったに相違ない。 |