〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (五) ──
火 乃 国 の 巻

2013/07/05 (金) 「ほう じょう だん ぺん (一)

信仰のとりで に、武力と、財力をたくわ え、ややもすれば、政治的に動く集団があったとしたら、世にこれほど始末の悪いものはあるまい。
叡山などは、一国ほどな組織と実力を、持っている。
天子といえ、為政者といえ、ときには、どうすることも出来ない。
せめて、彼らから、武器というきば を抜くために、いくたびか、僧侶そうりょ が凶器を帯びるの禁令は発せられたが、行われたため しはない。
一策は、ただ慰撫いぶ があるだけだった。荘園しょうえん を与える。僧位を与える、彼らの口癖にいう信仰の至上をみとめる、要求、なんでもきいてやる。
しかし、その増上慢ぞうじょうまん には、限りがなかった。
「こたびこそは」
と、法皇も、内心、歯がみしたに違いない。
けれど、ついに、こんども、おこらえるにほかはなかった。
いや、輦轂れんごく の下の、庶民こそ、なお、恟々きょうきょう たるものだった。そこには、夜も眠れない人びとの声が聞こえる。
「ことしは、どんな異変があるやも知れぬぞ。地震ない か、大洪水おおみず か、疫病えきびょう か。・・・・山王が怒りをなせば、災害地に満つということじゃ。怖ろし、怖ろし」
これも、山法師たちが、言わせることである。しかし、民度は低い、事理にくら い民衆は、救いようもない。
いや、法皇御自身が、すでに、そのおひとりなのだった。同じような、不安な御心理になりかけておいでになる。
祗園を、陣地として、夜ごと、夜空をこが がしている叡山側は、なお僧兵の数を加えていた。そして、ふたたび、皇居へ出向かんと、揚言してはばか らなかった。
そにため、主上 (高倉天皇) には、手輿てごし に召されて、真夜半、院の御所 ── 法住寺へ、難をお避けになるなどの、騒ぎもあった。
その夜は、禁中はもとより、京中の者が、すわ大事よと、上下、眼もあてられない混乱を呈した。
山門側では、強訴ごうそ で及ばなければ、なお “離山りざん ” という奥の手があった。
「── 大比叡、小比叡の御社みやしろ を始め、根本中堂こんぽんちゅうどう 、大講堂、そのほか三塔の坊舎諸堂、一宇も余さず焼き払って、僧徒すべて、山を離れん」
と、いうのである。
ずいぶん乱暴な宣言だし、無恥な恫喝どうかつ だ。
けれど、離山が、実行された前例はない。
ところが、今度はそれが、ゆゆしくも、僉議せんぎ されたと法皇のお耳に聞こえた。あの勝ち気な御性格も、ついに、寵臣ちょうしん の西光をなだめ給うて、山門の いに、屈伏遊ばすほかなかった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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