〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (五) ──
火 乃 国 の 巻

2013/07/05 (金)  じん (四)

「さあれ、主の頼政殿には、昔は知らず、今は、名のみ源氏の、見しぼらしき部門の端くれに、おわせられ、見らるるごとく、人数も至って、無勢にて候う。── もし、ここを一途いちず と、目がけられ、神輿を振り入れ給わんか、人びとは申し候いなん。── あわれ、山門の大衆は、老武者の守る無勢の門を いてはいりたれ、弱きには強き大衆かな ── と」
唱は、微笑した。大法師たちは、むっそりと、平足駄と、薙刀の石突きを、地にそろえて、黙りこくっている。
「また、あるじ の頼政殿がお立場とても、ここは、死地か生地か、やすからぬ大難の分け目にて候え。年ごろ、信仰する山王の神輿、開けて、入れ奉れば、官旨にそむき、弓矢の職が、すた れ申す。さらばとて、大衆のおん前を防ぐとなれば、太刀や鎧こそは、古びたれ、何条、源氏の名に恥を残し得ましょうや。子飼いの郎党も、主と心を一つにして、好まぬながら、死力の防戦を、お目にかけることになりましょうず。・・・・が、もし幸いに、御名誉を思わるるなれば、東の門には、小松殿が、陣を厚くかさね、大軍にて、固めておられ候う。その御陣こそ、衝いて、堂々と、お通りあらば、さすがは、山門のおん振舞いかなと、人びともいいはやし候いなん。あわれ、御思慮をこそ、こうは、願うにて候う」
── すると、大衆の中では、たちまち、ごうごうと、僉議せんぎ の声が起こった。
「耳をかすな、ただ、押し通れ」
という者。
「いや、条理の立った申し入れ。一応、長老に問え」
という声。
ときに、一山の碩学せきがく 、豪運堅者りつしや が、諸手もろて をあげて、大勢の中から言った。
「やよ、しずまれ。源頼政殿といえば、かつて、平治の戦いに、味方の義朝殿を離れ、ひとり平家に弓を曲げて、都の片隅に老いさらぼうた似而非えせ 武者であろうが。・・・・世の人はなお忘れず、犬四位よと、指さしあい、門を見れば、つば して通る者もあるとか聞く。── 人も相手にせぬ、そのような犬武者を、地に平伏させて、押し通ったとて、なんの誉れぞ。否、神輿のけがれよ。── 時の聞こえもあらんずれ。東の門へ向かおうよ。神輿を き返し奉れや」
彼の演舌に、大衆の波は、
「さなり、さなり」
「もっとも、もっとも」
と、一せいに、同じあって、たちまち、ゆるい旋回を起こし、もうもうと、ふたたび黄塵こうじん をまいて、東の門へ向かって行った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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