〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (五) ──
火 乃 国 の 巻

2013/07/04 (木)  じん (二)

重盛は、ただちに、宮門に せ参じ、千四騎を分けて、大宮表の陽明ようめい待賢たいけん郁芳いくほう 、三つの門を守った。
頼政は、兵も少ない、見るからに、武具、装備も貧しい。
彼は、平家一色の都の中に、わずかに、命脈をとどめていたただ一人の源氏の老将であった。職を、大内裏守護に奉じていたので、いささかながら、滝口の兵百人ほどを率い、ほかの、子飼いの郎党六、七十騎をよう していたに過ぎない。
やがてのこと。
神輿しんよ神宝じんぽう さんらんと、四月の昼のほこりを舞わせて、山門の大示威は、まっ黒に、これへ近づいた。そして、
「あれ見よ。北の門は、手薄ぞ」
「北の縫殿ぬいどの の陣より、神輿しんよ を振り込め」
と、頼政の備えを見、ここぞ、よい突破口とばかり、ひしめいた。
「すわ、これへ」
「これへと、来るぞ」
わずかな、頼政の軍兵は、毛孔を、そそけ立てた。
守りを、破られたら、どうなる?
結果は、想像に難くない。
神輿みこし を、禁庭に振り込み、数千の大衆が、なだれ込む。手をたたき、声を合わせて、何かを、わめく。
法旋ほうせん の声々、乱舞の足響き。もう、そうなると、手がつけられない。
狂せる四千の大衆によって、朝廷の事務も、政治機関も、一切が止まってしまう。
かなしいかな、万乗の君も、朝廷の大官も、これを、鎮圧する力もなく、なだ める手段もない。
なぜなれば、神輿は、皇家の信仰の象徴である。
叡山は、王城鬼門の鎮護、天皇本命の道場であり、また、日吉山王十二社も、皇室の尊信の的となっている。
その神輿へは、天皇も庭上に下りて、拝をなし給い、公卿百官も、地に拝伏するのが、定めだった。制圧などは、思いもよらない。
まして、警固の武者輩などは、いうまでもなかった。従来、これに、一矢いつし を射た者は、久安三年のむかし、若き安芸守あきのかみ 平清盛たいらのきよもり ただ一人あったのみである。
今し。
頼政は、どう、これを迎えるだろうか。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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