重盛は、ただちに、宮門に馳
せ参じ、千四騎を分けて、大宮表の陽明ようめい
、待賢たいけん 、郁芳いくほう
、三つの門を守った。 頼政は、兵も少ない、見るからに、武具、装備も貧しい。 彼は、平家一色の都の中に、わずかに、命脈をとどめていたただ一人の源氏の老将であった。職を、大内裏守護に奉じていたので、いささかながら、滝口の兵百人ほどを率い、ほかの、子飼いの郎党六、七十騎を擁よう
していたに過ぎない。 やがてのこと。 神輿しんよ
の神宝じんぽう さんらんと、四月の昼のほこりを舞わせて、山門の大示威は、まっ黒に、これへ近づいた。そして、 「あれ見よ。北の門は、手薄ぞ」 「北の縫殿ぬいどの
の陣より、神輿しんよ を振り込め」 と、頼政の備えを見、ここぞ、よい突破口とばかり、ひしめいた。 「すわ、これへ」 「これへと、来るぞ」 わずかな、頼政の軍兵は、毛孔を、そそけ立てた。 守りを、破られたら、どうなる? 結果は、想像に難くない。 神輿みこし
を、禁庭に振り込み、数千の大衆が、なだれ込む。手をたたき、声を合わせて、何かを、わめく。 法旋ほうせん
の声々、乱舞の足響き。もう、そうなると、手がつけられない。 狂せる四千の大衆によって、朝廷の事務も、政治機関も、一切が止まってしまう。 かなしいかな、万乗の君も、朝廷の大官も、これを、鎮圧する力もなく、宥なだ
める手段もない。 なぜなれば、神輿は、皇家の信仰の象徴である。 叡山は、王城鬼門の鎮護、天皇本命の道場であり、また、日吉山王十二社も、皇室の尊信の的となっている。 その神輿へは、天皇も庭上に下りて、拝をなし給い、公卿百官も、地に拝伏するのが、定めだった。制圧などは、思いもよらない。 まして、警固の武者輩などは、いうまでもなかった。従来、これに、一矢いつし
を射た者は、久安三年のむかし、若き安芸守あきのかみ
平清盛たいらのきよもり ただ一人あったのみである。 今し。 頼政は、どう、これを迎えるだろうか。 |