〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (五) ──
火 乃 国 の 巻

2013/07/04 (木)  じん (一)

例年四月の、吉日の祭礼も、今年は、とり止めとなった。
日々、延暦寺えんりゃくじ政所まんどころ に集会して、険悪な空気を漂わせていた山門の主脳は、ついに僉議せんぎ の鐘を鳴らした。三塔の山法師は、雲の如く、大講堂の広前へ集まり、たちどころに、決議した。
強訴ごうそ へ。── 今は、強訴のほかなし」
正確に言えば、その日は、治承元年十三日のたつこく (午前八時)
いわゆる三千の大衆と号する僧徒に、加賀法師一千を加えた大示威は、十禅師権現、八王子、白山はくさん 、三社の神輿みこし を陣頭にかついで、下山し、
「まず、大内裏へまかれ」
と、さがまつ 、加茂河原、一条南と、押し揉んで、洛内へ入った。
昼なので、松明たいまつ は、振らないが、町々はみな戸ざし、往来は絶え、昼も夜半と変りはない。
随参ずいさん の山法師は、もちろん、上に法衣ころも を着ているが、下にはみな、よろい 具足ぐそく を着こみ、足は、わらじ、あるいは、平足駄ひらあしだ 、手に菖蒲形あやめなり大薙刀おおなぎなた という、いでたち。
頭は、五条の袈裟けさ で、裏頭かとう (覆面) した者もあり、無造作に、破れ布で、ぐるぐる巻きにしたのも多い。
可愛らしい少年が、直垂ひたたれ の袖で、頭を包み、竹の棒切れなど持って、僧兵の中に交じって行くのも、妙に目を引く。
その前には、必ず、ゆゆしい大鎧を着た三塔の大法師や、眉に霜をおいた老法師が、ゆさゆさと、歩いて行った。
大衆だいしゅう のうちでも、白大衆しらだいしゅう とよぶのは、僧でもない俗でもない、寺仲間てらちゅうげん や山の雑人ぞうにん である。そのほか、白丁はくちょう宮仕みやじ神人じにん下法師げぼうし学生がくしょう など、すべて武器を帯び、気負いはまったく、軍隊であった。ただ服装と旗だけの違いでしかない。
「すわ、強訴ごうそ の入洛ぞ」
「延暦寺の堂衆二千、学生二千、神輿しんよ を振りささげ、早朝に、下山と見えて候うぞや」
事は、早馬で、報ぜられていた。
「朝廷の諸官は、うろたえて、
「院の御所へや、まかる。大内裏へや迫る?」
と、迷ったが、ともあれ、宮門の警固を、平家の小松内大臣重盛に命じ、また一方のかためを、源頼政に、下命した。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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