〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (五) ──
火 乃 国 の 巻

2013/07/03 (水) さん もん さる (一)

四月八日は、灌仏会かんぶつえ
小さい花御堂はなみどう の内の誕生仏に、清水せいすいそそ ぐ儀式など、印度風俗のにお いがするお祭りである。全国の寺々はいうまでもない。宮中、院、宮家、女院、公卿 ── 武門の家庭にさえ、仏楽や仏歌が聞こえ、平和なにぎわいが、随所にながめられる。
仏教の年中行事では、そのころ、最大なものの一つだった。
ところが、今年はその日が、不孝な悪日あくび になってしまった。年表に見える治承元年四月二十八日のこう ── “京師ニ大火アリ、貴重ナル文献コトゴトク焼失ス” ── とあるのが、それである。
「ただ事ではない。日もあろうに、釈迦しゃか 降誕こうたん のみ祭りに、かかる地獄を、眼に見るとは」
まだ余燼よじん も赤々と煙っている夕やみに、罹災者りさいしゃ の心理をついて、早くも、こんなことを言いふらす人影があった。
一人や二人ではない。飼主のない野良侍や、顔をくるんだボロ法師、何職ろも分からなぬ雑人ぞうにん などが、辻ばなしに、しゃべり抜くのであった。
「ゆうべ、ふしぎな夢を見た。山王さんのう のおんとがめととな えて、二千とも三千とも知れぬ猿どもが、手に手に松明たいまつ を持ち、比叡山ひえいざん より降りて来た。火とも猿とも分かたぬ光が、洛中らくちゅう の屋根から屋根を跳び舞うての ── このうえにも、山門へ非礼あるにおいては、京中を焼け野原にもして見せんず。おそ れよ、畏れよ ── と、雲の中から聞こえたと思うと、いずこともなく消え去った」
「ほう、似たことを、聞くものよ。今熊野の巫女みこ どのも、同じ夢見を語っていたが」
「何事にも、前兆まえじ らせはあるものぞよ。さる高徳こうとく な隠者どのから、わしも聞いた。日吉ひえ 山王のお使いが何千匹も火を振って、仙洞せんとう (法皇の院) の上を雲翔くもが けりして せたと」
こわ や、恐や。そも何事の、お示しであろう」
「知れたことよ。余りに、院が山門をないがしろにし給うゆえに」
「あわれ、またぞろ、強訴ごうそ 騒ぎでも、見ねばよいが」
結局、この火事は、時局の妙な問題と結びついて、怪しげに言われ、まことしやかに拡まった。
たれか、山門の知恵者が、四月二十八日と、偶然な火事と、日吉ひえ 山王さんのう のお使いという物とを、からませて、うまく民心撹乱みんしんかくらん を計ったものと思われる。
これは、愚衆の口を借りて、山門が院を脅迫し奉るものと言えないこともない。例の、強訴ごうそ の匂いがする。 「かねての要請が容れられねば、最後の手段に出るのが、お覚悟か ──」 という、山門側の予告、いや、威嚇いかく とは受け取れた。
うわさは、院中にも聞こえ、それをお耳に入れた後白河法皇は、
「なに、猿が京中を焼くとて、人びとが流言に、おび えているというのか」
その御気性の底から、依怙地えこじ なほど、感情にお強い御気色みけしき を、あらわに ──
「それなん、正体は、山王猿にはあらで、叡山に住む裏頭かとう (覆面) の山門猿であろうよ。山門猿の思い上がりは、今に始まったことではない。かまえて、彼らの訴事や流言に計られるな」
と、側近をかえりみて、大いにお笑いになったことであった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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