須磨の間には、釣燈籠
が、もう、夕の灯を、つらねていた、迦葉も、七人の内侍も、また、膳部ぜんぶ
や酒のしつらえも、彼の出座を、待っていた。 ほどなく、内侍たちの嬌笑きょうしょう
やら、清盛の他愛のない冗談が、そこに聞こえ、しばしば、泉の水鳥がしぶきを上げる。 そのうちに、清盛が、七人の内侍へ、こう訊いた。 「いったい、そもじたちは、何しに、都へ出て来たのか。──
たれに誘われて」 と。 すると、内侍たちは、待っていたように、 「後徳大寺の君に ──」 と答え、実定が、厳島へ来て、七日間、参籠していたわけを、ありのまま、物語った。女らしい同情と、しみじみした言葉をそろえて
──。 すると、清盛は、 「ほう、後徳大寺殿は、大将にならなかったことで、そんなにも、失望していたのか」 と、言い、即座に、 「それは、気の毒だ。加茂や春日に、社参したというならとにかく、はるばる、平家の氏神たる厳島まで行って参籠したとは、ひとしお、不びんな心根だ。平家に対して、二心のない証あかし
でもある。さっそく、なんとか、考えてあげよう」 と、内侍たちへ、約束した。 それから、一ヶ月を出ないうちであった。 左右両大臣の再更迭が発表された。 嫡子重盛が、左大臣を辞して、内大臣だけに止とど
まり、宗盛はなお、大納言右大将のまま置かれたが、その上を超こ
えて、新たに、後徳大寺ごとくだいじ
実定さねさだ が、左大将に、補せられたのである。 時人じじん
は、この抜擢ばってき に、びっくりした。 わけ知りの一部でさえ、ひそひそと、 「これは、あきれた。入道相国の身びいきと、栄位の一門独占は、よほどかと、思うたに、なんと、執着もないことであろう」 「さりとは、案外、お人よしなところもある入道殿かな。──
実定が作為とも知り給わで」 と、彼の甘さを、嘲笑わら
い合った。 そういう見方で見る者からは、たしかに、清盛は、甘いともいえる一面が、いくらでもあった。 後白河法皇を始め、院中の公卿や院外の策士は、清盛のそうした人間的弱点を、つねに見のがしていなかった。
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