〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (五) ──
火 乃 国 の 巻

2013/07/03 (水) 雪 ノ 御 所 (五)

須磨の間には、釣燈籠つりどうろう が、もう、夕の灯を、つらねていた、迦葉も、七人の内侍も、また、膳部ぜんぶ や酒のしつらえも、彼の出座を、待っていた。
ほどなく、内侍たちの嬌笑きょうしょう やら、清盛の他愛のない冗談が、そこに聞こえ、しばしば、泉の水鳥がしぶきを上げる。
そのうちに、清盛が、七人の内侍へ、こう訊いた。
「いったい、そもじたちは、何しに、都へ出て来たのか。── たれに誘われて」 と。
すると、内侍たちは、待っていたように、 「後徳大寺の君に ──」 と答え、実定が、厳島へ来て、七日間、参籠していたわけを、ありのまま、物語った。女らしい同情と、しみじみした言葉をそろえて ──。
すると、清盛は、
「ほう、後徳大寺殿は、大将にならなかったことで、そんなにも、失望していたのか」
と、言い、即座に、
「それは、気の毒だ。加茂や春日に、社参したというならとにかく、はるばる、平家の氏神たる厳島まで行って参籠したとは、ひとしお、不びんな心根だ。平家に対して、二心のないあかし でもある。さっそく、なんとか、考えてあげよう」
と、内侍たちへ、約束した。
それから、一ヶ月を出ないうちであった。
左右両大臣の再更迭が発表された。
嫡子重盛が、左大臣を辞して、内大臣だけにとど まり、宗盛はなお、大納言右大将のまま置かれたが、その上を えて、新たに、後徳大寺ごとくだいじ 実定さねさだ が、左大将に、補せられたのである。
時人じじん は、この抜擢ばってき に、びっくりした。
わけ知りの一部でさえ、ひそひそと、
「これは、あきれた。入道相国の身びいきと、栄位の一門独占は、よほどかと、思うたに、なんと、執着もないことであろう」
「さりとは、案外、お人よしなところもある入道殿かな。── 実定が作為とも知り給わで」
と、彼の甘さを、嘲笑わら い合った。
そういう見方で見る者からは、たしかに、清盛は、甘いともいえる一面が、いくらでもあった。
後白河法皇を始め、院中の公卿や院外の策士は、清盛のそうした人間的弱点を、つねに見のがしていなかった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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