〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (五) ──
火 乃 国 の 巻

2013/07/03 (水) 雪 ノ 御 所 (三)

相国清盛は、治承元年のことし、ちょうど、六十になった。
六十になっても、法体ほったい となっても、彼自身は、自己の内容に、何の変化も意識してはいない。
けれど、彼が、都のぬかるみを、縄緒なわお足駄あしだ でのし歩いて、高平太たかへいた綽名あだな されたり、貧乏で有名なスガ目殿の子伜こせがれ よと、人に指さされる辛さに、扇で顔を隠して歩いたところ、扇の骨の間から、鼻が出ていたというので、たちまち、鼻平太と呼ばれ出したなどという時代の彼を ── 今も覚えている人びとは、
「変れば変るものかな。くらい 人臣を極められて、さしも今は、申し分なく、貴人のそう を、備えられた」
と、百人が百人とも、今昔こんじゃく の感にたえない思いをもらすのであった。
わけて、一門のともがらく は、
「さすが、近年はお姿のみか、お心までも、まろ うおなり遊ばして」
と、ひそかに、彼の晩香を、祝福していた。
しかし、清盛は、ふと、そういうあささやきを、耳にするたび、おかしく思った。貴人の相も、円満な心も、彼の願いではないからである。彼の願いは、なお次の夢にせわ しない。
近年、宋銭の輸入を、実行させている。── 何しろ、日本の貨幣制度が、幼稚すぎる。皇朝十二銭などというものはあるが、とても、鋳造力ちゅうぞうりょく が不足だし、第一、庶民のあいだに、貨幣の信用がなく、運用の効も、よく知っていない。
依然、今もなお、大部分が、物々交換の実状である。
だから、旅行するにも、その不便さは、ひと通りでなく、木賃の払いでも、一度の食べ物でも、物代ものしろ でなければ、承知しない風習は、地方へ行くほど、強いのだった。
宋銭の流通は、それを、だいぶ緩和してきた。
これの輸入の代償として、彼は、別府地方の硫黄山いおうやま から、硫黄を採掘して、宋国へ出した。
「ありがたい国よ。焼け土が、金になる」
朱鼻あけはな伴卜ばんぼく と、快笑したものである。
過ぐる年、太政大臣は返上して、人にやらせている。空位虚名、何かあらん、という風な彼に見えた。この福原から、朝鮮、宋国、南方とながめて、つぎつぎの計画を描く、そのため、彼はなお、老境を知らない。
そうした彼の相談相手としては、つねに、朱鼻の伴卜が、伺候していた。
伴卜も、今は、単なる御用商人ではない。
養子の五条那綱は、大納言にのぼり、福原に近い寺江には、別荘まで構えている。後白河法皇の往還には、いつも、御宿所を奉仕するほどだった。そして彼自身は、清盛の顧問格に納まり、一切、表面には出ない。虚名の大官よりは、無名の王侯おうこうく を、望んだのだ。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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