福原の雪ノ御所には、清盛の愛妾
のひとりの、迦葉がいた。 迦葉の御廂みひさし
とよぶ、べつな庭と、高欄こうらん
や橋を備えた別棟べつむね まであった。 迦葉も、もとは厳島いつくしま
の内侍ないし である。内侍中の内侍といわれる
“八乙女やおとめ ” の中でも、一ときわ優すぐ
れて見え、舞楽の妙手でもあったので清盛の眼にとまり、雪ノ御所へ、移された者だった。 「以前のお友達と仰っしゃるお方が、七人もうちそろうて、訪ねていらっしゃいました。船を待つ間、お顔を拝して、島へ帰らばやと
──」 ある日、迦葉の部屋へ、女童めわらべ
が、こう取次いで来た。 「まあ、厳島のお友達が、七人も」 迦葉も、なつかしさに、すぐ迎え入れた。 女と女の誇張された表現が、そこの廂の内を、半日もかしましいばかり、華やがせていた。 「ねえ、迦葉さま、わたくしたちが来て、こんなにはしゃいでいると、いまに、相国から、うるさいと、おしかりが出やしませんか」 「いいえ」 と、迦葉は紅菫べにすみれ
みたいな唇くち もとを誇った。 「相国は、そんな、おむずかしいお方ではありません。さきほど、侍者じしゃ
から伝えて来たおことばにも」 「何か、仰せ出ででしたか」 「たそがれごろには、みなを伴うて、須磨すま
の間ま へ、罷まか
れと」 「まあ、それでは、お目にかかれるのですか」 「だって、最前、皆からわたくしへ、お頼みになったのでしょう。せっかく、都見物に来て、この地を通りながら、むげに、素通りしてはお悪いからと・・・・」 「けれど、さてとなると、なんだか、畏おそ
れ多いような、恐こわ いような」 「ホ、ホ、ホ。どうして、そう皆が、相国を怖ろしがるのでしょう」 迦葉には、ほんとに、理由のないことに思われた。内侍たちばかりでなく、公卿や武者や、一般までが、入道相国と聞くと、何か自分たちの先入主へ、無条件に、畏怖いふ
してしまうくせがある。 迦葉も、初めは、そう思った。けれど、日がふるにつれ、清盛という人も、世間の中の一人と、何の変わりもないお方と、今では、安心しきっている。 ただ、彼女が、やかましく言われるただ一つの役目があった。それは、舞楽上のことだった。
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