〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (五) ──
火 乃 国 の 巻

2013/07/02 (火) 雪 ノ 御 所 (一)

福原の雪ノ御所には、清盛の愛妾あいしょう のひとりの、迦葉がいた。
迦葉の御廂みひさし とよぶ、べつな庭と、高欄こうらん や橋を備えた別棟べつむね まであった。
迦葉も、もとは厳島いつくしま内侍ないし である。内侍中の内侍といわれる “八乙女やおとめ ” の中でも、一ときわすぐ れて見え、舞楽の妙手でもあったので清盛の眼にとまり、雪ノ御所へ、移された者だった。
「以前のお友達と仰っしゃるお方が、七人もうちそろうて、訪ねていらっしゃいました。船を待つ間、お顔を拝して、島へ帰らばやと ──」
ある日、迦葉の部屋へ、女童めわらべ が、こう取次いで来た。
「まあ、厳島のお友達が、七人も」
迦葉も、なつかしさに、すぐ迎え入れた。
女と女の誇張された表現が、そこの廂の内を、半日もかしましいばかり、華やがせていた。
「ねえ、迦葉さま、わたくしたちが来て、こんなにはしゃいでいると、いまに、相国から、うるさいと、おしかりが出やしませんか」
「いいえ」
と、迦葉は紅菫べにすみれ みたいなくち もとを誇った。
「相国は、そんな、おむずかしいお方ではありません。さきほど、侍者じしゃ から伝えて来たおことばにも」
「何か、仰せ出ででしたか」
「たそがれごろには、みなを伴うて、須磨すま へ、まか れと」
「まあ、それでは、お目にかかれるのですか」
「だって、最前、皆からわたくしへ、お頼みになったのでしょう。せっかく、都見物に来て、この地を通りながら、むげに、素通りしてはお悪いからと・・・・」
「けれど、さてとなると、なんだか、おそ れ多いような、こわ いような」
「ホ、ホ、ホ。どうして、そう皆が、相国を怖ろしがるのでしょう」
迦葉には、ほんとに、理由のないことに思われた。内侍たちばかりでなく、公卿や武者や、一般までが、入道相国と聞くと、何か自分たちの先入主へ、無条件に、畏怖いふ してしまうくせがある。
迦葉も、初めは、そう思った。けれど、日がふるにつれ、清盛という人も、世間の中の一人と、何の変わりもないお方と、今では、安心しきっている。
ただ、彼女が、やかましく言われるただ一つの役目があった。それは、舞楽上のことだった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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