さて、十七日を、ここに参籠
し、その間に、三度まで、神楽かぐら
や舞楽ぶがく を奏あ
げ、また催馬楽さいばら を催した。 人も知るここは平家の氏神うじがみ
である。── 平家の公達きんだち
や、相国の社参は、めずらしくない。 「けれど後徳大寺の君が、何の御祈誓ごきせい
ぞ」 と、内侍ないし たちは、寄り寄り、ささやいた。 宮中の女官になぞらえて、厳島の内侍ないし
(神子みこ
を兼ねた舞姫) とよぶ乙女おとめ
たちがたくさんいる。 実定の参籠が終わると、ある夜の宴に、彼女たちは、実定をとり巻いて、そのわけを訊たず
ねた。 実定は、気をもたせて、なかなか語らなかったが、彼女たちが、問いせがむままに、 「では、申すが、人には告げるな」 と、打ち明けた。 「自分の家柄は、代々、摂政大臣やら、左右の大将を出し、女子には、鳥羽の皇后、璋子の君を始め、妃きさき
や女御にょご に上げられたお方も多い。近くは、二条天皇に恋せられた多子は、かくいう実定の妹でもあった・・・・」 瞼まぶた
をふさいで、沁し んみり言う。 憂わしげな貴人の眉を内侍たちは、唾つば
をのんで、見まもり合った。 「── それほどな家、清華せいが
の嫡男に生まれながら、儂み は、この年まで、大納言でいるにすぎぬ。先ごろ、左右大臣の更迭こうてつ
があったゆえ、このたびはと、待っていたところ、大相国の御嫡子と御三男が、なられてしもうた。・・・・つらつら思うに、なお平家御一門には、四男の知盛卿がおられるし、嫡孫の維盛これもり
卿もおいでになる。しょせん、生涯、時を待つも、愚と覚った。・・・・で、出家しようと、考えたが、わが家にも、家司けいし
から雑色ぞうしき まで、たくさんな召使がおるし、それらの者が嘆くので、身一つ気ままに出家もならぬ。あれやこれやと、悩みに悩んだあげく、かくは、遠くもいとわず、参籠に来たわけじゃ。──
あわれ、実定の器うつわ が、凡庸ぼんよう
なためなれば、病を与えて、死なせ給えと」 内侍たちは、すっかり、彼に同情してしまった。 余りに、地位の高い先祖や妹を持ったため、自分も、先祖なみに、一度は近衛の大将にならないと、同族や奉公人からも笑われる・・・・という実定の苦衷を聞いて、わけもなく、ともに涙を流したのであった。 「いや、つい、しめっぽい話に落ちたわえ、神に祈りはすれど、ひとえに、大相国のお胸によること、そもじたちに、愚痴を聞かせたとて、なんになろう。さ、杯をまわせよ。催馬楽さいばら
でも歌おうほどに」 こうして実定は、やがて、島を辞した。 なお、彼は帰るおりに、厳島の内侍のうちでも、みめ美よ
い者七人を選んで、同じ船に乗せて行った。 「都を見とうはないか。参籠中のお礼に、都見物をさせてつかわそうよ。まず、こたびは七人、次に七人、実定が厳島へ詣ずるたびに、七名ずつ連れては、洛中洛外を見せてやろうぞ」 と、誘ったのである。 名にしおう名門の君に誘われて、二の足を踏むはずはない。わけても、島の舞姫たちには、あこがれの都でもあった。 彼女たちは、雀躍こおど
りして、実定について行った。実定は、約束以上にも、親切をつくし、数日にわたって、洛中洛外の名所を見物させ、なお、多くの土産物まで持たせ、やがてまた、家人けにん
をして、大輪田の港まで見送らせた。 |