〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (五) ──
火 乃 国 の 巻

2013/07/01 (月) い つ く し ま の ない (三)

後徳大寺の君が、何か、立願りゅうがん のことがあって、厳島詣いつくしまもう でに立つと、聞こえたのは、それから十日ほど後であった。
「加茂もあれば、男山おとこやま もある。いかなる御願ぎょがん かは知らぬが、藤原氏の氏神うじがみ たる春日のやしろ いて、波路はるばる、厳島明神まで、御参詣ごさんけい とは?──」
人びとは、いぶかり合った。
事実、そのころの海路の旅は、たいへんな日数と、苦労だったし、何よりは路用のつい えも生やさしくはない。
が、後徳大寺実定は、そうした犠牲もいとわず、都を立った。
供人ともびと の中に、蔵人の重兼は、見えなかったが、この厳島行きが、彼のすすめであったことは、もちろんである。
福原 ふくはら (現・神戸市) の町も、大輪田 おおわだ の築港も、今なお。工事は続けられていた。
しかし、清盛が、開港に手を着けてから、はや十年余の歳月は経っているので、その変化は、昔日 せきじつ の比ではない。
宋大陸の分明のにおいや、南方の異国色が、海辺町の風俗にまでながめられる。
清盛の別荘 “雪ノ御所” は、竣工 しゅんこう していた。
それに、一族の門戸やら、公卿 くげ 顕紳 けんしん第館 だいかん が、山すそや、川ぞいの勝地に建ち並び、おりふし、碇泊 ていはく 中の宋船との対比が、まだ、かつて日本の地上にはなかった文化聚楽 じゅらく の出現を、目に見せていた。
「二、三年前とは、また一そう、開けてきたの」
実定は、ここで船に乗った。そして船上から、会下 えげ 山下 さんか 一帯の大聚楽をながめ、
「これほどな仕事を、やり抜いた清盛。やはり清盛は、偉いのかも知れぬ」
と、眼に見て、思った。
べつに、思うところがあるので、わざと、雪ノ御所へは立ち寄らず、彼は、厳島 いつくしま への船路を急いだ。
音戸 おんど の瀬戸は、切り開かれ、内海の通路も、厳島通いにも、前よりは、労は少なく、時間もずっと、短縮されていた。
ここも、清盛が、工事をとく して、開鑿かいさく したものと聞き、実定は、
「しょせん、都人みやこびと のあたまには、思いもつかぬことばかりするお人ではある」
と、驚嘆した。
いや、やがて海中の大鳥居を見、白砂青松のなぎさ にならぶ厳島いつくしま の殿廊や堂塔に接したとき、実定は、その規模の大と、美しさに、批判の眼も失って、
「── こりゃ、夢の国か」
と、そぞろに、なった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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