〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/29 (土) よ ぎ もち (二)

「── あわれ、伊豆守仲綱といえば、都に残っているただ一 の源氏、源頼政どのの子息なれば、これは倖せにも、話せる男が送ってくれるわ ── と楽しみに思っていたが、なんのこと、和殿わどの も型のごとき役人であったかよ。あははは」
仲綱は顔が熱くなった。
理由のない赤面だと自制してみても、これを人中で言われると、仲綱は、いつも同じ肩身のせませに襲われる。
父の頼政は、平治の合戦にさいし、義朝と合わず、六波羅へ加勢した。そのため全源氏が地上から影をひそめた後も、頼政だけは、わずかに、地位を保っていた。── 平家全盛の都で、前時代の遺物みたいに、ささ やかな一族を養っているただ一軒の源氏であった。仲綱はその頼政の子なのである。
馬を降りて、手綱を、郎党の手にあずけ、仲綱は門覚のそばへ来て、こうなだ めた。
「御僧のおはなしは、父の頼政からも、よく聞いております。それゆえ世の常の囚人めしゆうど 扱いはせぬようにと、武者や下司げす たちにも命じてはあるが、余りな我意を振舞われては、役儀のてまえということもある」
「いや、和殿を困らすような真似はせぬ。しかし、いかなる流人でも、都を離るるさい、縁者との名残も許さずとは、官でも申しておるまいが」
「されば、許すというおきて があるわけでもござらぬ。ただ、よそながらなる有縁うえん の幾人かは、見て見ぬ振りをしておるにとどまります」
「それよ。・・・・その見て見ぬ振りをいてもらいたいのだ。今朝、廷尉ていいごく の前から、わしの後を慕って、なお見え隠れについて来る者がある。性来、わしは未練を厭む。どうも、そういう者が後から来ると、後ろ髪引かれていかん。・・・・因果を申し含めて、ここから帰したく思う。暫時ざんじ 、その暇を与えてもらいたいのだ」
「そうですか ── 」 と、仲綱も余儀ない顔して 「では、なるべく早くおすましいただきたい」
と、しばし列を道から片寄せて、休息を言い渡した。
文覚は立って、道の遠くへ手招きした。すると、警固の武者を恐れながらも、小走りに、駈け寄って来る人びとが見えた。四、五人の僧侶そうりょ と、ひと組の男女と、もう一人は、ただの市人いちびと にすぎない壮年の男だった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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