〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/29 (土) もん がく はい (三)

獄にいる間も、口を開けば、朝家をののしった。法皇と入道相国とは、ともに濁世じょくせ の元凶であると言ったりした。日夜、何か憤怨ふんえん をもらしていなければ気のすまないような彼であった。休みのない活火山にも似ている。
勅は、断を下して、
伊豆いず へ、流罪に処せ」
と、命じた。
僧侶そうりょ でもあるし、市民のあいだには、悪い評判もなく、むしろその言笑に、一種の愛慕と親しみをもたれているらしくもあるし ── と、幾たびか朝議では、赦免あるべしとか、軽罪に付して放つべしとか、議せられていたが、法皇に対しての悪たれがお耳に入って、許すべからず、となったものである。
勅を奉じて、伊豆守仲綱は、伊豆ノ国奈古谷なごや 寺へ向けて、彼を護送の任に就いた。
「文覚さんが、流されるそうな」
「あのおもしろい坊さんがか」
「何をしたのだろう。流されるとは、どこへであろう」
「伊豆へだとさ、伊豆だとさ」
道々みちみち 、彼を見送って、哀れがる者が多かった。
だが、裸馬の上の文覚は、口髭くちひげ の中から白い歯を出して笑っていた。── そして所々のつじ へかかると、群集の口真似交じりに、妙な保元をしては、追立おったて の役人に、割竹で尻をなぐられて行った。
「なんと天の配剤はいざい の妙なるかな ではないか。── 配流はいる ではなくて配剤だ。── 伊豆へだとさ、伊豆へだとさ。この文覚を捕えて、わざわざ伊豆へとは。・・・・あははは、わざわざ伊豆へとは」
群集には、なんのことか、わからない。
ただ狂語を き、狂態を演じて行くものと見えたであろう。わけもなくはやしたり、わけもなく笑った。
そうした人波の肩と肩の間から、一人の男は、つまさき立ちして、文覚の幅の広い背を、いつまでも見送っていた。
「天の配剤とは、そも、何を言われたのか。あの笑いは何の意味か。・・・・ああ伊豆の国よ。なつかしいなあ。伊豆と聞くだに。ままになるなら、後に いて行きたいほどだが」
男は三十三、四。ただの雑人姿ぞうにんすがた である。
ぞろぞろとなお いて行く人影に交じって、彼も、われを忘れたように、裸馬の尻にくっついて行った。身なりに似合わない眼差まなざ しは、根からの凡下ぼんげ とは見えなかった。
しかし、都ひろしといえども、彼の顔を覚えている者はおそらくあるまい。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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