「狂人か。ここを、院の御所と知ってか。──
この慮外者めが」 組みついた渾身
の力で、腕はしめ、声はふりしぼったが、文覚の体は、動いていない。 「もとより、存じての仕儀にて候う 」 文覚は、あらかに、自分を抱きしめている者に答えた。 「年来、大願の候うて、高尾の山中に、一宇の精舎しょうじゃ
を建立こんりゅう し、世の明りをともさんと念ずる者にて候うなり。──
ちまたに立ちて、乏よぼ しき衆生の浄財にこれを仰ぐも、法皇の御心みこころ
による一紙半銭なりとも、皇家のおん布施ふせ
と名づくものこそ欲しけれと、かくは勧進のため、推参したして候う。・・・・あわれ、悲願を成すべき資給を蒙こうむ
らせ給え」 「だまれっ。暴力をふるって、宮苑きゅうえん
を驚かし奉りながら、虫のよい言い草を」 「礼は知っている。不敬もわきまえている。それゆえに、再三再四、門をたたけど、奥の方では、管絃に浮かれ、衛士は、つんぼを装よそお
うているため、ついに直訴に及んだまでのことだ。── なお、邪さまた
げると、仮借かしゃく はせぬぞ」 「何を、この狼僧ろうそう
めが」 片手を解いて、敵の片手を、ねじかけた。 資行のからだが、とたんに文覚の肩を躍りこえた。地ひびきに弾はず
み上がって、資行はまた、正面から挑いど
みかかった。 文覚は、勧進の軸で、彼の額を打った。なお向かって来ると、胸を突いた。 資行は、もう立てない。 「まだ、文覚を阻はば
めるか」 文覚の眼は、咄嗟とっさ
に、自分をとり囲んでいた衛府の侍たち十数人を、ねめまわしていた。炯々けいけい
として、その眼光は、以前の文覚よりも、精悍せいかん
な野性を加えている。 彼は、山野に仏陀を求めて、かえって、獣王の精を受けてしまったのか、何者といえ、その前には立ち難いほどな猛気である。 衛士たちは、手玉に取られて、八方へ投げ飛ばされた。 兵衛尉ひょうえのじょう
公朝きみとも は、大喝だいかつ
して、 「怯ひる むな。脚をとれ」 と、部下を励まして、文覚の上体へ、武者ぶりついた。 文覚は、左に巻かん
を振り、右の手に、小刀を抜いて、 「刺すぞっ」 と、脅おど
した。 蹴ひらいた勢いで、 「一に聖裁にあり、悲願のすじ、聴許、賜わるや否、聞かせ給え」 わらわらっと、殿でん
の、階きざはし へと、近づきかけた。 安藤武者右宗みぎむね
が、それをうしろから組みとめた。 文覚は、右宗の臂ひじ
を小刀で刺した。右宗は、なお血のしたたる腕を解かない。そのうちに、公朝きみとも
や兵士の大勢が、文覚の脚を捕り、腕をとらえ、やっとのことで、組み伏せた。 毬まり
のように、縄目なわめ をかけ、廷尉ていい
の獄ごく へ下くだ
した。 |