宋国への書と贈物を奉じて、入道相国自身が、福原へ赴いたと聞こえてから、数日後のことである。 承安三年の春は三月という季節。 法皇には、社寺への御幸やら、御遊
やら、また政治にも御懈怠ごけたい
はないので、ここ、日も足らぬ御日常であった。 一日。群臣とともに、法住寺殿でん
で、童子舞を御覧になり、そのあと、宴会えんえ
にうつられた。 いつもお側にある権大納言成親。西光法師、加賀守師高、資行、成経、信房などの諸卿の顔がその日も見えた。 法皇は、ただ宴楽をお好みになるというだけではない。音楽には御造詣ごぞうけい
が深かった。 政治にあらわれる御才気のとおり、何事によれ御器用であらせられた。御自身、今様いまよう
もよくお謡うた いになり、 「梁塵秘抄りょうじんひしょう
」 という歌詞の集すら編纂へんさん
されたこともあるほど、この道の好者すきしゃ
でもあった。 従って、院の近臣もみな、管絃かんげん
に長じている。 成親の琵琶びわ
、資行の笙しょう 、西光のひちりき、師高の笛など、みな上手じょうず
にちかい。 院は、箏こと
を弾ひ かれるし、琵琶も能よ
くし給い、興にお乗りになると、鼓をお打ちになることもある。 今もそうして、春の長い日も、忘れておいでになった。 すると、どこかで、ただならぬ人声がした。 「や?・・・・何か?」 鳴りをひそめて、人びとは、聞き耳をたてた。 中門の外あたりである。 途方もない嗄が
れ声をあげて、たれか、経文でも読み上げているような喚わめ
き方だ。 そのうちに、衛士えじ
の者であろう、 「ならぬっ。通ってはならんっ。── これっ、どこへ参る。どこへっ」 と、物音に交じって、烈しい叱咤しった
が、つづけさまに聞こえた。 成親は、愕然がくぜん
として、琵琶をひざの下においた。そのときまた、烈しい物音がし、中門の垣かき
が揺れひびいた。 「── 資行。見てまいれ」 法皇のお言葉に、検非違使けびいし
の平ノ資行は、廻廊へ走り出た。 見ると。 怪異かいい
な一人の大坊主が、さえぎる警固の士を投げ飛ばしながら、中門を突き破って、入って来た。 その僧は、蓬々ほうほう
と頭の毛をはやし、ひどい破や
れ衣ごろも を着、脚は松の木のような肌はだ
をして、草鞋わらじ の緒お
すら、満足でない。 「おうっ。ここは院の御座ぎょざ
にも間近に候うか。終日ひねもす
の管絃も、余りには、倦う み給わん。おりには、衆生に代って、ちまたに訴うる文覚もんがく
が声も聞き給えや」 文覚は、あたりに向かって、いい払った。 法住寺殿の庭も狭しとばかり突っ立って、経巻きょうかん
のっような一軸いちじく を拡げはじめた。 「あっ。・・・・高尾たかお
の文覚よな」 資行は思い出した。よく町中に立っては、何事かを演舌して、勧進かんじん
の喜捨きしゃ を、浄財をと、衆に呼びかけている文覚という僧を。 文覚は、その勧進かんじん
の疏そ を、ここで読もうとするらしい。 法皇の御耳に届けとばかり、やがて、音声おんじょう
を張り上げた。── 神護寺じんごじ
建立こんりゅう の趣旨は付けたりみたいである。彼が訴える文章は、まるで世を慷慨こうがい
する志士の口吻こうふん であった。悪政をののしり、貴族の逸楽をのろい、平家の驕慢きょうまん
をゆるしておく法皇も、平家と同罪なる者だと、唾つば
を飛ばして言うのである。 「資行、資行っ。なぜ捕り抑えぬ」 成親や西光たちは、万一でもあってはと、総立ちに立ちふさがって、法皇の壁代かべしろ
となった。 資行は、勾欄こうらん
を跳び降りた。 ぱっと、鷹たか
がかかったようである。 「無礼者っ」 おめきながら、相手の体たい
へぶつかって、文覚を羽交い締めにした。 |