〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/27 (木) もん がく はい (一)

宋国への書と贈物を奉じて、入道相国自身が、福原へ赴いたと聞こえてから、数日後のことである。
承安三年の春は三月という季節。
法皇には、社寺への御幸やら、御遊ぎょゆう やら、また政治にも御懈怠ごけたい はないので、ここ、日も足らぬ御日常であった。
一日。群臣とともに、法住寺殿でん で、童子舞を御覧になり、そのあと、宴会えんえ にうつられた。
いつもお側にある権大納言成親。西光法師、加賀守師高、資行、成経、信房などの諸卿の顔がその日も見えた。
法皇は、ただ宴楽をお好みになるというだけではない。音楽には御造詣ごぞうけい が深かった。
政治にあらわれる御才気のとおり、何事によれ御器用であらせられた。御自身、今様いまよう もよくおうた いになり、 「梁塵秘抄りょうじんひしょう 」 という歌詞の集すら編纂へんさん されたこともあるほど、この道の好者すきしゃ でもあった。
従って、院の近臣もみな、管絃かんげん に長じている。
成親の琵琶びわ 、資行のしょう 、西光のひちりき、師高の笛など、みな上手じょうず にちかい。
院は、こと かれるし、琵琶も くし給い、興にお乗りになると、鼓をお打ちになることもある。
今もそうして、春の長い日も、忘れておいでになった。
すると、どこかで、ただならぬ人声がした。
「や?・・・・何か?」
鳴りをひそめて、人びとは、聞き耳をたてた。
中門の外あたりである。
途方もない れ声をあげて、たれか、経文でも読み上げているようなわめ き方だ。
そのうちに、衛士えじ の者であろう、
「ならぬっ。通ってはならんっ。── これっ、どこへ参る。どこへっ」
と、物音に交じって、烈しい叱咤しった が、つづけさまに聞こえた。
成親は、愕然がくぜん として、琵琶をひざの下においた。そのときまた、烈しい物音がし、中門のかき が揺れひびいた。
「── 資行。見てまいれ」
法皇のお言葉に、検非違使けびいし の平ノ資行は、廻廊へ走り出た。
見ると。
怪異かいい な一人の大坊主が、さえぎる警固の士を投げ飛ばしながら、中門を突き破って、入って来た。
その僧は、蓬々ほうほう と頭の毛をはやし、ひどいごろも を着、脚は松の木のようなはだ をして、草鞋わらじ すら、満足でない。
「おうっ。ここは院の御座ぎょざ にも間近に候うか。終日ひねもす の管絃も、余りには、 み給わん。おりには、衆生に代って、ちまたに訴うる文覚もんがく が声も聞き給えや」
文覚は、あたりに向かって、いい払った。
法住寺殿の庭も狭しとばかり突っ立って、経巻きょうかん のっような一軸いちじく を拡げはじめた。
「あっ。・・・・高尾たかお の文覚よな」
資行は思い出した。よく町中に立っては、何事かを演舌して、勧進かんじん喜捨きしゃ を、浄財をと、衆に呼びかけている文覚という僧を。
文覚は、その勧進かんじん を、ここで読もうとするらしい。
法皇の御耳に届けとばかり、やがて、音声おんじょう を張り上げた。── 神護寺じんごじ 建立こんりゅう の趣旨は付けたりみたいである。彼が訴える文章は、まるで世を慷慨こうがい する志士の口吻こうふん であった。悪政をののしり、貴族の逸楽をのろい、平家の驕慢きょうまん をゆるしておく法皇も、平家と同罪なる者だと、つば を飛ばして言うのである。
「資行、資行っ。なぜ捕り抑えぬ」
成親や西光たちは、万一でもあってはと、総立ちに立ちふさがって、法皇の壁代かべしろ となった。
資行は、勾欄こうらん を跳び降りた。
ぱっと、たか がかかったようである。
「無礼者っ」
おめきながら、相手のたい へぶつかって、文覚を羽交い締めにした。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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