〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/26 (水)  じゃくたまご (三)

たまたま、基房の相続問題が起こると、その荘園に対して、清盛も、食指を動かした。また、それをすすめて、
(先規を調べると、盛子様のお子にも、当然、所領の一半は、おp継ぎになる御資格があるもののようです。基房公おひとりが、兄君の遺産をそっくり御継承になるのは、ちと、心得ません)
と、何やかや、献策したのは、例のあけはなせんき伴卜ばんぼく である。
伴卜は、養子の五条那綱に、あらゆる先規せんき 前例ぜんれい を調べさせた。そして、資料と口実をそろえた。
清盛はそれを持って、法皇におはか りした。
(基実に子がある以上、相伝の所領は分けて継ぐのがよい。正しきに従うべきである)
法皇のお心も、そこにあったので、ついに氏ノ長者の代々相伝の領国は、この時、半分に減ってしまった。そしてあとの半分は、当然、基実の未亡人盛子 ── 清盛のむすめのものになった。
もし基房が、
(そんな先規はない。不合理である)
と、全藤原氏の結束をもって、敢然と、反対して来たら、問題が問題だし、法皇も中に立っておられるので、清盛の欲望は通らなかったに違いない。
が、まるで無抵抗に、基房は唯々いい として、相伝の領国を、半分受けて、甘んじてしまった。
あわ れむべき名門の子)
と、清盛はその時も思ったことがあった。そして、以来、基房を蔭ながらかば って来た。
けれど基房の弟、九条兼実は、深くそのことをうら んでいた。
兼実は賢いので、院の側近者みたいに、あらわな反抗は表に見せないが、蔭では、
(たとえ、どんなよし みを示して来ても、自分は清盛を信じない。いや平家そのものが性来きらいだ。成り上がりの武人らと、殿上の交わりとは、心外の至りだが ── ただ時勢の方便に従うのみ)
と、言っていた。
そうした同族間の感情は、基房の大饗たいきょう の招きにも現れた。新たに、栄職につくと、宴を張って、知人を呼ぶなら わしである。その太政大臣の就任披露の大饗は、年の暮れであったせいもあろうが、
「ちと、さわ りがあって」
と、上卿たちも、欠席を答えて来るし、不参の客が多かった。
弟の兼実も、また、
「このところ、連日のように、元服の御式ぎょしき の予習で疲れたせいか、脚気かっけ の気味で・・・・」
と、所労しょろう を言い立てて来なかった。
予習で疲れているのは兼実ひとりではない。それに 「冬の脚気とは ──」 と、基房はおもしろくない顔をした。大饗はさび しいものになってしまった。とはいえ、それは基房への面当つらあ てではなく、藤原氏の対平家感情の女々めめ しい表情の一つに過ぎないのであった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next