〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/26 (水)  じゃくたまご (二)

十二月、基房は、思いがけない恩命に接した。
清盛が太政大臣を退いて後は、一時、藤原忠雅が後任を襲い、その忠雅が退職以来、空位になっていたのである。ところが、にわかに基房へ、摂政を兼ねて太政大臣たるべし、という朝命なのであった。
これは、入道相国が、法皇にすすめて、
「天皇の御加冠に当って、太政大臣が空位のままなのもいかがにや」
と、基房を推薦したものであるという。
基房は、案外に思った。
車争いの事件でも、入道の公平な態度には、余りに、衆評とちがう人間を見たような気がしたものである。その上にもまた、蔭へまわって、じぶんへこいう恩情をかけてくれるのは、よくよく自分に好意を持ってくれているに違いない。
基房は、その通りな気持ちを、あるおり、弟の九条兼実に語った。── すると、明敏な聞こえのある兼実は、非常に笑って、
「兄君には、いつ入道相国の召使になられたのですか。それこそ浄海入道があなたを籠絡ろうらく したものです。御用心なすってください。おたがいは、うじ長者ちょうじゃ たる摂?せつろく の家の子ですからね」
と、皮肉に言った。
せっかく、ともに歓んでくれるかと思った弟に、そう言われて、人のいい基房は、ふさ ぎこんだ。── 基房にはこの温良な好さがある。しつは清盛も、それを憐れんでいたのである。
数年前にも、こういう例があった。
それは彼の長兄、さき の関白基実が、病死した後、その相続問題に伴って起こった事件である。
相伝そうでん文書もんじょ や宝器や所領の国々は、当然、基房がそっくり受けるのが、ほんとである。摂?せつろく の家の先規せんき でもある。
ところが、基実の夫人盛子は、清盛のむすめであった。法皇のおなかだ ちで、嫁いだ後に、一子が生まれていた。
法皇は元来、院政によって、皇威を昔にかえ し、朝政一元の実を挙げようというのが、御理想なので、藤原氏の長者が、代々、諸国にある広大な荘園そうえん を相伝してゆく先規せんき なるものを、決してよいこととはしておられない。機会さえあれば、これを分散させるなり、朝家に収めてしまうべきもの ── としておいでになる。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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