十二月、基房は、思いがけない恩命に接した。 清盛が太政大臣を退いて後は、一時、藤原忠雅が後任を襲い、その忠雅が退職以来、空位になっていたのである。ところが、にわかに基房へ、摂政を兼ねて太政大臣たるべし、という朝命なのであった。 これは、入道相国が、法皇にすすめて、 「天皇の御加冠に当って、太政大臣が空位のままなのもいかがにや」 と、基房を推薦したものであるという。 基房は、案外に思った。 車争いの事件でも、入道の公平な態度には、余りに、衆評とちがう人間を見たような気がしたものである。その上にもまた、蔭へまわって、じぶんへこいう恩情をかけてくれるのは、よくよく自分に好意を持ってくれているに違いない。 基房は、その通りな気持ちを、あるおり、弟の九条兼実に語った。──
すると、明敏な聞こえのある兼実は、非常に笑って、 「兄君には、いつ入道相国の召使になられたのですか。それこそ浄海入道があなたを籠絡
したものです。御用心なすってください。おたがいは、氏うじ
ノ長者ちょうじゃ たる摂?せつろく
の家の子ですからね」 と、皮肉に言った。 せっかく、ともに歓んでくれるかと思った弟に、そう言われて、人のいい基房は、鬱ふさ
ぎこんだ。── 基房にはこの温良な好さがある。しつは清盛も、それを憐れんでいたのである。 数年前にも、こういう例があった。 それは彼の長兄、前さき
の関白基実が、病死した後、その相続問題に伴って起こった事件である。 相伝そうでん
の文書もんじょ や宝器や所領の国々は、当然、基房がそっくり受けるのが、ほんとである。摂?せつろく
の家の先規せんき でもある。 ところが、基実の夫人盛子は、清盛のむすめであった。法皇のお媒なかだ
ちで、嫁いだ後に、一子が生まれていた。 法皇は元来、院政によって、皇威を昔に回かえ
し、朝政一元の実を挙げようというのが、御理想なので、藤原氏の長者が、代々、諸国にある広大な荘園そうえん
を相伝してゆく先規せんき なるものを、決してよいこととはしておられない。機会さえあれば、これを分散させるなり、朝家に収めてしまうべきもの
── としておいでになる。 |