この秋の末、入道相国は、福原から都へ帰った。おそらく冬中は、西八条の第
におられるものであろうと、世間では言っていた。 摂政基房の車が、西八条を訪れたのは、ここの広前に多い楓かえで
の木が、みな紅葉し初めた初冬の静かな一日だった。 「よう渡らせられた。主上の御元服も近く、何かと、朝務もお忙しかろうに」 前日に知らせがあったので、清盛はそのための時間を作って、こころよく基房を待ち迎えた。 ここへ来るまでの基房は、心のうちで、入道の御気色みけしき
のほどいかがあらん ── と惧おそ
れていたふうであったが、いつもの清盛とちがう容子ようす
もないので、まずはと、型どおりにあいさつした。 「相国もお健すこ
やかで何よりです。いちどは、福原へもお伺いして、輪田わだ
の築堤やら山荘の結構なども拝見したいと念じながら、御元服のおん儀も迫って、何かと心忙せわ
しいまま、ついご無沙汰がちに打ち過ぎまして」 「いやいや、摂政の御大任にある身だ、些事さじ
には気づかい召されぬがよい。やがて、主上御加冠の、式典などすまされたら、ゆるゆる、あの辺りを御見物に出られよ。── ときに、その加冠の儀式は、いつとお決まりになったか」 「集儀のすえ、明春正月三日ろ定まりました」 「それはめでたい」 清盛は心から言った。──
が基房は、いいにくそうな思いを乗り越えるように、 「じつは・・・・」 と、言って、眉まゆ
を重たげに伏せた。 「── すでにお聞き及びでしょうが、先ごろ、その御元服の集議が行われた当日、小松殿の郎党と、わたくしにの車添いの小者とが、途上において争いを起こしました」 「ううム・・・・聞いた。だいぶ派手な喧嘩けんか
をやったらしいな」 「いずれが是ぜ
、いずれが非ひ と申すのでもありませんが、両度にわたって、相互の武者や舎人とねり
どもが、意趣をののしり、遺恨の限り、狼藉ろうぜき
を働き合いましたので、世説せせつ
紛々、人びとは両家の間に、どんな確執かくしつ
があるのかと、臆測おくそく をたくましゅうしておりまする」 「人の口は塞ふさ
ぎはならぬ。言う者には、言わせておけ。・・・・だが、小松殿には、清盛からしかっておいたぞ。したい、大人気ない沙汰さた
と」 「いえ今日伺ったのは、そのお詫わ
びのためなのです。小松殿をお叱りあっては、基房も科とが
を待たねばなりません。主人同士は、何も存じ寄らぬこと。・・・・さるを、小松殿には、まだ稚おさな
い資盛殿を、伊勢へ追われて、慎みを命ぜられたとも伺っております。どうか、相国のお裁きをもって、資盛殿を呼び返しください。そしてこの基房が至らぬ落度も、あわせておゆるし給わりませ」 「あははは・・・・何かと思えば、摂政の君ともあろうお方が」
と、清盛は隔意のない笑顔を見せて ── 「あなたは、不必要なまでに、事件の始末を恐れておいでになるらしいが、資盛の処分は、親の重盛として、あたりまえのことよ。また、入道が重盛を叱ったのも、重盛を愛すればこそで、わが跡をも継つ
ぐ一門の惣領たる者が、あの場合のように、家来どもの怒りをそのまま怒って、小事しょうじ
にいきり立つようなことでは困る」 子を思う親は、みな似たような取り越し苦労を持つらしい。入道相国にしてすら、そうであった。 「・・・・が、のう。家来の喧嘩に、重盛が重盛らしくない焦立いらだ
ちを見せたのも、じつに重盛の病気がさせた業わざ
であったよ。かつて、入道の病やまい
を治した宋医をさし向けて診み
させたところ、小松殿は明らかに胃心いしん
を煩わずろ うておられるゆえ、ひたすら御養生が第一ということであった。・・・・松殿
(基房の別称) よ。もうあのことは、水に流してやれ。のう・・・・腹も立ったであろうが」 「もったいない。基房こそ、おしかりを受くべきに」 「やがて、重盛も見えよう。時忠や、宗盛、頼盛なども迎えにやろう。ひとつ仲直りの宴を開こうよ。壺つぼ
の紅葉も見ごろ、夜は月もよからめ。皆の催馬楽さいばら
でも見ようではないか」 |