〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/26 (水)  じゃくたまご (一)

この秋の末、入道相国は、福原から都へ帰った。おそらく冬中は、西八条のてい におられるものであろうと、世間では言っていた。
摂政基房の車が、西八条を訪れたのは、ここの広前に多いかえで の木が、みな紅葉し初めた初冬の静かな一日だった。
「よう渡らせられた。主上の御元服も近く、何かと、朝務もお忙しかろうに」
前日に知らせがあったので、清盛はそのための時間を作って、こころよく基房を待ち迎えた。
ここへ来るまでの基房は、心のうちで、入道の御気色みけしき のほどいかがあらん ── とおそ れていたふうであったが、いつもの清盛とちがう容子ようす もないので、まずはと、型どおりにあいさつした。
「相国もおすこ やかで何よりです。いちどは、福原へもお伺いして、輪田わだ の築堤やら山荘の結構なども拝見したいと念じながら、御元服のおん儀も迫って、何かと心せわ しいまま、ついご無沙汰がちに打ち過ぎまして」
「いやいや、摂政の御大任にある身だ、些事さじ には気づかい召されぬがよい。やがて、主上御加冠の、式典などすまされたら、ゆるゆる、あの辺りを御見物に出られよ。── ときに、その加冠の儀式は、いつとお決まりになったか」
「集儀のすえ、明春正月三日ろ定まりました」
「それはめでたい」
清盛は心から言った。── が基房は、いいにくそうな思いを乗り越えるように、
「じつは・・・・」 と、言って、まゆ を重たげに伏せた。
「── すでにお聞き及びでしょうが、先ごろ、その御元服の集議が行われた当日、小松殿の郎党と、わたくしにの車添いの小者とが、途上において争いを起こしました」
「ううム・・・・聞いた。だいぶ派手な喧嘩けんか をやったらしいな」
「いずれが 、いずれが と申すのでもありませんが、両度にわたって、相互の武者や舎人とねり どもが、意趣をののしり、遺恨の限り、狼藉ろうぜき を働き合いましたので、世説せせつ 紛々、人びとは両家の間に、どんな確執かくしつ があるのかと、臆測おくそく をたくましゅうしておりまする」
「人の口はふさ ぎはならぬ。言う者には、言わせておけ。・・・・だが、小松殿には、清盛からしかっておいたぞ。したい、大人気ない沙汰さた と」
「いえ今日伺ったのは、そのお びのためなのです。小松殿をお叱りあっては、基房もとが を待たねばなりません。主人同士は、何も存じ寄らぬこと。・・・・さるを、小松殿には、まだおさな い資盛殿を、伊勢へ追われて、慎みを命ぜられたとも伺っております。どうか、相国のお裁きをもって、資盛殿を呼び返しください。そしてこの基房が至らぬ落度も、あわせておゆるし給わりませ」
「あははは・・・・何かと思えば、摂政の君ともあろうお方が」 と、清盛は隔意のない笑顔を見せて ── 「あなたは、不必要なまでに、事件の始末を恐れておいでになるらしいが、資盛の処分は、親の重盛として、あたりまえのことよ。また、入道が重盛を叱ったのも、重盛を愛すればこそで、わが跡をも ぐ一門の惣領たる者が、あの場合のように、家来どもの怒りをそのまま怒って、小事しょうじ にいきり立つようなことでは困る」
子を思う親は、みな似たような取り越し苦労を持つらしい。入道相国にしてすら、そうであった。
「・・・・が、のう。家来の喧嘩に、重盛が重盛らしくない焦立いらだ ちを見せたのも、じつに重盛の病気がさせたわざ であったよ。かつて、入道のやまい を治した宋医をさし向けて させたところ、小松殿は明らかに胃心いしんわずろ うておられるゆえ、ひたすら御養生が第一ということであった。・・・・松殿 (基房の別称) よ。もうあのことは、水に流してやれ。のう・・・・腹も立ったであろうが」
「もったいない。基房こそ、おしかりを受くべきに」
「やがて、重盛も見えよう。時忠や、宗盛、頼盛なども迎えにやろう。ひとつ仲直りの宴を開こうよ。つぼ の紅葉も見ごろ、夜は月もよからめ。皆の催馬楽さいばら でも見ようではないか」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next