〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/26 (水) きようしま らい (五)

未明のうちに、雪ノ御所から、ふた手に別れた兵馬が駆け出した。
一隊は、生田ノ森へ。
そこでは、森の中から、十数人の子どもらが、兵士の手で、解放された。
別の一隊は、松原の法華道場を取り巻いた。
護摩ごま だん の前から、東大寺僧が、引きずり出され、清盛から命じられた通り、真っ裸にして、一艘いっそう の小舟に、しば りつけておいた。
清盛はその朝、都へ帰る旨を触れ出していた。騎馬や牛車や、たくさんな供を従えた彼の旅装の列は、ややまわり道して、浜辺へ立ち寄った。
「この坊主か」
と、清盛は、小舟の底の東大寺僧を見て言った。
「人柱をすすめたそうだな。ういやつよ。奇特者よ。望みに任せて、なんじを、海龍王のもとへつか わすであろう。── 船夫ふなこ ども、。この人柱を、沖へ突き流してやれ」
すると、僧侶そうりょ は、くわっと清盛をにらみつけて、ののしった。
「わしは、おそ れ多くも、法皇の御帰依ごきえ も浅からぬ僧だぞ。法皇の御意ぎょい を伺え、東大寺のゆるしを え」
「あはははは。あわてたな坊主」
「天魔っ。いかさま、入道相国は、天魔にちがいないわ。わしを殺せば、とりも直さず、東大寺を敵とすることだぞ」
「百の東大寺にうら まれようとも、清盛には、幾人かの子どもらの方が、はるかに可愛い。── やい、船夫かこ ども、はやく いで、沖へ捨ててしまえ、かようなあくた は」
それから、後ろの武者の群れを振り向いて、
「並河権六やある」
と、呼び出した。
権六は、もう首を、延べていた。覚悟のていである。
愚昧ぐまい なやつ」
と、清盛は、あわ れむが如く苦笑した。
「まことに、 なやつだが、しかしおのれは、可愛くもあるぞ。そんなにもして、工事を成就させたいと思ったのか。そこは、清盛もうれしく思う。・・・・権六、そこらの石を、拾って来い。そこらの小石でいい。五ツ六ツ、おれの前に拾って来い」
「清盛は、別な武者へ、筆とすずり を求めた。
やがて彼は、筆を持って、石ころの一つ一つへ、一切経の文字を書いては、そこらへほうり出した。
「権六。そちは、今日から、このぎょう をやれ、これを行として。・・・・これなん、人柱にまさ功力くりき があろう。人の子の生命いのち をちぢめて、よろこび給う仏陀やある。これなら諸天の神仏もうけ給うこと間違いはない。こう一つ一つに経を書き ── この経石を、幾ツずつでも、石船にまじ えて海へ投げ込むがいい。わかったか」
「わ、わ、わかりまいてござりまする」
権六は、顔じゅうに、しわ を描いて泣いた。彼の顔までが、きょう 文字を書かれた石の面のように見えた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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