〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/25 (火) きようしま らい (二)

「やんぬるかな 。法皇のおずる さよ。── 御聴許は、容易ではない」
法皇の御帰洛後。
清盛も、決意をやむなくした。決して、あきらめる彼ではないが、さっそく実現は、断念した。
「── かくては、来年もまた来々年も、尊い人力と月日を、ついにむな しく費やし尽くそう。清盛も年すでに五十三。・・・・種直、わが所領の地へ布令ふれ して、兵と財とを、能う限り募って来い。わが一世の業が、成るか成らぬかだぞ。よいか、今はその境だ」
原田種直は、命を受けて、即日、西国の各地へ向かって出発した。── 同様な激励はまた、工事現場にある日向太郎と阿波民部の両奉行にも達しられた。
夜も昼も ── といってよい。
涙ぐましい無数の人間の懸命な労働が、次の年の台風期を目標として、自然力を越すか越せないか ── の闘いに向けられ出した。
岬や、山の手のはだ を切りくずし、大小の岩石を、いそ まで持ち出して、船で沖へ運んで行く。
石梁法せきりょうほう というのは、巨材をいかだ に組み、筏の上に、箱を組んで、それに石を詰め込んで海底に沈める。
船瀬法せんらいほう というのは、同じ方法を、船でするのである。岩石を積んだまま、沖へ出して、船底に穴をあけ、船ぐるみ、沈下させる。
巨材のはり の上にはり を重ね、石船に上に石船を沈めて、堤になるまで積み埋める。
秋からは、夜も、不知火しらぬい のように船篝ふなかが りをつらね、数千人の土工、人夫、船夫、技官たちが、昼組と夜組にわかれて、不眠不休の工をつづけていた。
「よし。あとは、天意だ」
清盛は、それを見て、満足した。今や、自分のなしうる最大限な力はそこに出たと見た。── 人力を尽くして天命を待つ。その言葉に、ひとり頷いていたのである。
「ああ、・・・・いつか夜空も、あき けて来た。まれには、都にも帰らねばなるまい」
銀河を仰いで、彼はふと、長い留守を思い出した。 ── 病をしお に、太政大臣を辞し、また、法体ほったい になって、一意、理想の実現に余生を投じようとは望んでいるが、なお、都の一門眷族けんぞく のうち、たれ一人、自分に代るべき者とては見当たらない。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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