経盛は病弱。教盛
はただ素直。 義弟の時忠はまた、やり過ぎる。才気はたれより煥発かんぱつ
だが、余りに覇気はき が強すぎる。 忠度ただのり
はよいが、なお若い。 そして恃たの
むべき嫡男ちゃくなん の重盛にしてさえ、父清盛の眼から見ると、一族すべての者から、尊敬はされているが、真に、慕われてはいない。 どこか、冷たいのである。沈剛のうちに、意地悪さが、隠れている。あの静かな理性の眼は、清盛も好きでない。──
その賢さが、かえって、重盛自身の人間を、小の人物にしているのを、清盛は親の欲目から、常に惜しく思っている。 保元の直前に、熊野路から引返して来た時のわが子重盛。──
また平治の雪の日に、悪源太義平と、追っつ追われつの一騎戦に負ひ
けを取らなかった豪快明朗なわが子重盛 ── どうしたのか、近年、しの重盛に、重盛らしい明るさがない。 「・・・・はてな。何か、身のうちに、病でも生じているのではないか」 今もふと、親は、その憂いを抱いて、 「帰ったら、いちど、良い医者に、診み
せねばならん。とかく重盛も近ごろは、燈籠とうろう
ノ大臣おとど とやら称よ
ばれて、小松谷に寺仏堂を建て、それに引き籠こも
っておると聞くが・・・・それがよくない」 一門の子弟が、みな公卿に倣なら
い出して、華奢きゃしゃ になり、風流に染み、仏道を遊戯ゆげ
の天国とでもしているように、黛まゆ
を描き、鉄奬かね をつけながら、拈華ねんげ
諷経ふぎん している姿を、清盛はときどき
「・・・・困ったものだ」 と、ながめている。 清盛自身、風流は、きらいではない。 華奢きゃしゃ
は、大いに、好むところだ。世の中は、明るいがいい。 仏教にしても、自分が法体ほったい
になり、頭もまろめたほどである。決して、不信仰がいいとは、思っていない。 けれど、華奢風流といい、仏教といい、彼は、公卿のまねごとなどはしたくないのだ。みずからの文化を創つく
り出して、 「六波羅様ろくはらよう
といえ」 と奨励したつもりである。また、宗教の意義や尊ぶべきことは、彼とて充分にわかっていた。ただ、これはもう若年からの性格として、へんな迷信を憎むのだ。海の平氏らしい明るさと、宇宙の不可思議のみを、畏かしこ
むだけのことである。 「いちど、時子から言わせておかなければならぬ。── 父の言葉というと、恐れるのみで、いっこう、蔭ではききめがない」 銀河の下に立ち飽いて、彼は、雪ノ御所の楼台を降りた。そして長い廊を戻って来ると、廊の角かど
に、佇たたず んでいた少年が、あわてて庭へ逃げかけた。 「捕えろ。──
あの童わっぱ を」 近侍たちは、追いつめて、苦もなく、その首の根を抑えて来た。 見ると、侍童じどう
(小姓こしょう
) の松王という少年である。 |